西岡 常一 氏(書籍『木のいのち木のこころ〈天〉』より)
このページは、書籍『木のいのち木のこころ〈天〉(西岡 常一 著)』から、良かったこと、共感したこと、気づいたことなどを取り上げ紹介しています。
・木は人間と同じで一本ずつが全部違うんです。それぞれの木に癖を見抜いて、それにあった使い方をしなくてはいけません。そうすれば、千年の樹齢の檜であれば、千年以上持つ建造物ができるんです。
・私の住む西の里は、法隆寺のための職人の村だったのです。ここに昔は左官屋、木挽、材木屋、瓦屋、大工というようにみんな揃っておりましたのや。
・明治維新までは宮大工いうんやなくて寺社番匠といっていました。
・檜はいい材です。湿気に強いし、品がいい、香りもいい、それでいて細工がしやすい。法隆寺には千二百年も前の檜がありますが、今でも立派に建っていますし、鉋をかけてやりますと、今でもいい香りがしますのや。
・木の生育は方位のままに使え
・癖というのはなにも悪いもんやない、使い方なんです。
・本来持っている木の性質を生かして、無駄なく使ってやる。
・『日本書紀』に「宮殿建築には檜を使え」ということが書いてありますのや。
・今から二千年、二千五百年前といいましたら神代の時代でっせ。こんな樹齢の檜は、現在では地球上に台湾しかありませんのや。
・木の命には二つありますのや、一つは今話した木の命としての樹齢ですな、もう一つは木が木材として生かされてからの耐用年数ですわな。
・千年の木やったら、少なくても千年生きるようにせな、木に申し訳がたちませんわ。
・技術というもんは腕だやなくて培われた勘や感覚に支えられているんですやろな。
・みんな新しいことが正しいことだと信じていますが、古いことでもいいものはいいんです。
・千三百年前に法隆寺を建てた飛鳥の工人の技術に私らは追いつかないでっせ。飛鳥の人たちはよく考え、木を生かして使っていますわ。
・雨が多く、湿気の強い日本の風土では、軒を長くして雨を防ぎ、建物を乗せる基壇を高くして地面からの湿気を防ぐことを考えたんですな。
・古い材は宝もの
・昔の人は古材をよく使っております。知らん人はこれを資源がのうなって使ったんやろとか、財政的に困ったじゃないかとか考えまっしゃろけど、違いますのや。檜や材になっても生きてますのや。千年たっても鉋をかけてやれば、いい匂いがしまっせ。重しをはずされた塔の隅木は何日かでもとの位置にすっと戻っていくんです。生きている木は最後の寿命が終わるまで使ってやるのが大工の勤めです。ですから古材とはいえ使うんですな。
・「堂塔建立の用材は木を買わず山を買え」
「木は生育の方位のままに使え」
「堂塔の木組みは木の癖で組め」
いずれも木の使い方の心構えを説いたものですな。
・道具というのは自分で研ぎ、自分の意思のままに使えて初めて使えるといいますのや。近ごろ電気の道具やら、一ミリの何分の一まで精密に細工する機械が出てきてますが、どないなもんですかな。
・私は檜を使って塔を造るときは、少なくても三百年後の姿を思い浮かべて造っていますのや。
・塔の再建には鉄を使わなあかんという学者にはこう言いましたわ。鉄を使ったらせいぜい二百年しか持たん、木だけで造れば千年は持つ、現に木だけで、ここに法隆寺のように千三百年の塔が建っているやないか、と。目の前に建っているものがあるのに聞かんのですわ。
・自分で解く心構えがないと、ものは伝わりませんのや。
・素直に、自分の癖を取って、自分で考え、工夫して、努力して初めて身につくんです。
・ものや技術は教えて教われるものやおませんのや。その人が覚えたいと思って、やる気にさせて、個性に合わせて伸びるように助けてやるんですな。
・「木組みは寸法で組まず木の癖で組め」
・今の教育はみんな平等やいいますが、人は一人一人違いまっせ。それを一緒くたにして最短距離を走らせようと思っても、そうはいきませんわ。一人ずつ性格も才能も違いますのや。その不揃いな者をうまく使い、それぞれの異なった性格を見出すのは、そう簡単に無駄なしにはいきませんで。
・「これでいいのか」という気持ちをつねに持つことが大事です。
・適材適所といいますが、いいところばかりではなしに、欠点や弱点も生かしてその才能を発揮させてやらなならんのです。
・口伝にいう「木を買わず山を買え」というのはこの木が伐採されて、製材されてから買うのはなく、自分で山に行って地質を見、環境による木の癖を見抜いて買いなさいということです。(中略)
それとこの口伝のもう一つの意味は、一つの山で生えた木を持って一つの塔を造れ、ということです。
・「木は生育の方位のままに使え」
この口伝には次のような文が続いていますのや。「東西南北はその方位のままに、峠および中腹の木は構造材、谷の木は造作材に」
・一つに止まるこれ正なり
・私は長く大工をやってきましたけど、自分が新しく考え出したものは何もありませんでした。それより解体修理をしながら、どうやってこんなことができたんやろと考えさせられることばかりでしたな。今でも飛鳥の工人に追いつかないと思っとるんです。
●書籍『木のいのち木のこころ〈天〉』より
西岡 常一 著
草思社 (1993年12月初版)
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