佐治 敬三 氏(書籍『へんこつ なんこつ』より)
このページは、書籍『へんこつ なんこつ(佐治 敬三 著)』から、良かったこと、共感したこと、気づいたことなどを取り上げ紹介しています。
・「ヘル ドクター エトヴァス ノイエス?(何か新しいことはないか)」と尋ねられた。
※小竹無二雄先生
・“エトヴァス ノイエス”のない日は、進歩なき嶰怠の一日と思い定めて、常に革新を目指していきたい。
・有名なアートディレクターにしてコピーライター、片岡敏郎の存在を忘れることができない。
・山崎隆夫(後の宣伝部長)との出会いは亡き兄の引き合わせと思われた。
・目玉だけギロギロと輝かせた青年開高健が私の前に現れた。原稿料は一枚五百円、六枚で三千円、これがおそらくは彼が最初の原稿料ではなかったか。
・サンは太陽、トリーは鳥井
・ブレンドこそがウィスキーづくりの生命である。
・彼は朝何時でも約束の時間の十分前には必ずホテルのロビーに姿を現していた。彼の知られざる一面であった。
※開高健氏のこと
・開高(健)は延べ二ヵ月ほどモンゴルにいただけ、現地の政治家にも会ったわけでもない。それなのに何人ものモンゴル人を感動させ、新聞やテレビまで動かしてしまった。
・YPO(青年社長会)という会がある。
●書籍『へんこつ なんこつ~私の履歴書』より
佐治 敬三 著
日本経済新聞社 (1994年2月初版)
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