木村 秋則 氏(書籍『すべては宇宙の采配』より)
このページは、書籍『すべては宇宙の采配』(木村 秋則 著)から、良かったこと、共感したこと、気づいたことなどを取り上げ紹介しています。
・目に見えていることだけを見ていても、本当のこと、真実はわからないのです。(中略)大事なことは目に見えない部分にあります。
・書店の奇跡(中略)
背表紙の下からツンツンやっているうちに、内燃機関の専門書は計画通りに棚からズリズリと出てきて手元に落ちてきました。が、同時に隣の本がくっついて落ちてきたのです。(中略)福島正信さんが書いた『自然農法』です。表紙には、「農薬も肥料も使わない農業」という言葉が書いてありました。
・肥料もやらないで農薬も撒かないで、人間にたとえるなら一切ゴハンを食べさせず、薬も飲ませず、「ちゃんと働け!」といっているようなものです。そう思いながらやせ細った木を見ると、言葉が次から次へと自然と出てきて、話しかける作業は日課になっていました。(中略)
しかし、話しかけなかった、隣りとの境界線や道路沿いにある1列82本は、畑を緑取るようにことごとく枯れてしまったのです。この現象は、別の畑でキョウリに触れているときも感じていたことです。
・最高の答えは、すでに自分の畑のなかに存在していたのです。根本的な間違えを犯していました。(中略)
下草もせっせと刈っていました。虫取りも熱心にしていました。目に見える表面上のことだけを、一生懸命に行なってきたのです。土がなければ木は育たない。元をただせば全部土に返ってくるのは自明の理なのに、目に見えない土のなかには気を配らず、そこは単なる木の置き場所みたいな感覚でしかなかったのです。
わたしの畑では重さで枝がしなるほど害虫が発生していましたが、岩木山の木に害虫の姿はなく、まわりにはチョウやバッタ、コガネムシなど昆虫たちがいて、辺りには雑草が生い茂っていました。無駄なものはなにひとつない、生命が循環している姿がありました。
・自然は、手を加えないで放っておくのが一番ではありません。(中略)
気づいたのは、自然とともに生きるということは、ただギャートルズのように自然と同化して走り回ることではなく、「自然を活かして生きる」という考え方がとても重要だということでした。自然は、人の力でコントロールできるような相手ではありません。
自然のバランスや営みを知ったうで、その仕組みに逆らうことなく、自分たちがうまく生きていけるように活かしていくわけです。(中略)
すでに土のなかに存在しているエネルギー、土の持つパワーをいかに活かすか、人にはそれが許されているだけです。土に働いてもらうのです。
・私が電話で、「元気にしているか?」と聞いたら女房のことではなく、女房が畑に行って見てきたりんごの木のこと。
・癌と仲良く
同い年の知り合いが癌になりました。(中略)
自分の癌に向かって、「俺のからだが完全にダメになったら、お前たち癌細胞も生きていけないんだよ」とよくいい聞かせてみればいいのではないかと思ったのです。ヘタな化学療法を行なうより、手術ができないほど進行してしまったなら、「共生してさぁ、末永く共に生きていこうよ」と仲良くなったほうがいいに違いないと思ったのです。
●書籍『すべては宇宙の采配』より
木村 秋則 著
東邦出版 (2009年7月初版)
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