野口 悠紀雄 氏(書籍『「超」文章法』より)
このページは、書籍『「超」文章法』(野口 悠紀雄 著)から、良かったこと、共感したこと、気づいたことなどを取り上げ紹介しています。
・論述文の成功は、メッセージが「ためになり、面白い」かどうかで決まる。
・本を書くことの最大のメリットは、書いている途中で発見があることだ。あるいは、それまで漠然と考えていたことを、はっきりと意識することだ。「知らないことがあったら、本を書いてみよ」と言われるほどである(教えることも、同様の効能をもつ)。
・(Ⅰ)仕事を効率的に進めるのは、書類の整理をうまく行なう必要がある。
では、メッセージになっていない。主張でもないし、発見でもないからだ。これは、当たり前のことを確認しただけである。
これに対して、
(Ⅱ-1)書類は、内容別に分類するのはなく、時間順に並べるのがよい。
という命題なら、メッセージになっている。これは、明確な主張だからである。
・広いと浅くなる
「ピントを合わせる」を言い換えれば、「広すぎるテーマはだめだ」ということだ。「人生の目的な何か」、「幸福になるのはどうしたらよいか」、「世界に恒久平和をもたらすには」といったテーマだ。(中略)
なぜだめなのか。第一に、広いテーマを一定の字数で論じようとすれば、どうしても浅く、薄くなってしまう。間口ばかりが広くて、深みのない内容になる。
・ためになり、面白いメッセージか?
・一般に、「秘密の解明」は、多くの人の興味を集める。
・冒険物語を真似て論述文の骨組みを作る
一つは二つ
では、対立概念をどのように使えばよいか?「善と悪がある」というだけでは面白くない。それに、論述文での対立概念は、必ずしも「善と悪」ではない。
私の提案は、対立概念を用いて、「一つは二つ」「二つは一つ」という議論を展開することだ。(中略)
よく使われるのは、「皆がプラスといっていることに、マイナス面もある」という指摘である。例えば、
◆新幹線で簡単に東京から大阪に行けるようになった。しかし、旅の楽しみは失われた。
◆電子メールが使えるようになって、連絡が簡単になった。しかし、読むべきメールが増えて、メール地獄になった。(中略)
どんな対象でも、よいことばかりではない。だから、「プラスもあるが、マイナスもある」という論方は、ほとんどがあらゆる対象に適用することができる。
・「二つは一つ」という論法もある。これは、「異なると思われていたものが、じつは一つの理論で説明できる」ということだ。一見異質にも見えるものから共通属性を抽出するのである。
共通の原理でいろいろのことを理解できるというのは、面白い。実際、学問の面白さはこれに尽きるといっても過言ではない。
・対立概念の例(中略)
◆経済問題を考える際に役立つ対立概念
長期と短期、実質と名目、構造と循環、実物(リアル)的側面と貨幣(マネタリー)的側面、小組織と大組織。(中略)
◆多くの場合に役立つ一般的対立概念
右と左、上と下、高いと低い、軽いと重い、表と裏、内部と外部、赤と黒、知と愛、太陽と北風、熱と冷、時間と空間、自然と人工、明と暗、静と動、始めと終わり、アナログとディジタル、動物と植物、猫と犬、梅と桜、夏と冬、過去と未来、類似と相異、真剣と滑稽。勝利と敗北、ゴミと宝箱、悲劇と喜劇。
・ラブストーリーの法則(中略)
「障害に直面して二人の間が引き裂かれる」ということだ。それを克服できればハッピーエンドになるが、それができなければ悲劇に終わる。障害として、まず社会階級(貧富の差や身分差など)がある。
・文章を長さで分類すると、つぎの四種類になる。
(1)パラグラフ------ 一五〇字程度。
(2)通常「短文」といわれるもの------ 一五〇〇字程度。
(3)本格的な論文などの「長文」------ 一万五〇〇〇字程度。
(4)「本」------ 一五万字程度。
・本書の「章」は、ほぼ一万六〇〇〇字になっている
・パネル・ディスカッションで(中略)、大演説を始める人がいる。(中略)「世界はあなただけの話を聞くほど寛容ではない」と言いたくなる。
・始めが重要なのは、読者をひきつけ、読んでもらうためだ。読む価値があることを、始めの数行で読者にアピールする。読者を感激させるもなにも、読んでもらえなくてはそもそもどうにもならないのだ。
・小説はよくこの手法を使う。最初に異常な事件が起こる。そこで、読者をひきつけておいたところでペンディングにし、主人公の生い立ちや事件のバックグランドなどを説明する。時間的には逆転することになるが、最初から背景を書くと、読者が離れてしまうからである。
・自分史の書き出し方には、つぎの三つのタイプがある。
(1)私は、一九三〇年の一月一日に生まれた。
(2)破綻の日(事業が行き詰って破産にした日など)
(3)大願成就の日(入学試験に合格した日など)(中略)
(2)の場合には、「大変だな」と同情するとともに、「いったいどうやって逆境を克服したのだろう」という興味もわく。もし、自分史を他人に読ませたいのであれば、(2)が最適だ。
・アリバイ文------最初に言い訳をしない
文章を言い訳からはじめてはならない。(中略)
◆「私はこの問題の専門化ではないのだが」
真意 「間違っていたとしても、大目にみてほしい。私自身もれっきとした専門家なのだが、じつは専門は別の分野で、そちらでは間違うことはありませんよ(あなたは知らないでしょうが)」(中略)
◆「一度はお断りしたのだが、編集部からのたっての依頼なので、書くことにした」
真意 「この文章がつまらなかったら、文句は編集部に言ってください。なにしろ、一度は断ったのだから、責任は、こんなテーマを押しつけた編集部にある」(中略)
◆「・・・・・・と言われて久しい」
真意 「<あ、そんなこと知ってるよ>と言わないでほしい。新鮮味がないのは私も知っている。でも、知らない人もいるかと思って、親切心から書いたのだ」
・口語では、この類の言い訳は、非常に多く使われる。
◆「あくまでも印象にすぎないのですが」
◆「もしかすると違うかもしれませんが」
◆「人から聞いただけですが」
◆「よくご存知でしょうが」
・なぜ終わりが大切か?
終わりが重要な理由は、二つある。第一に、「読むに値する文章かどうか」を判断するのに、最初を見るだけでなく、結論を読む人もいるからだ。それどころか、最初は飛ばして終わりから読む人もいる。岸信介元首相は、書類を後ろから読んだそうである。じつは、事務的な文書に関しては、これは正しい読み方なのだ。(中略)
終わりが重要な第二の理由は、読後に残る印象だ。(中略)視聴者や聴衆は、途中で話すことのすべてを必ずしも注意深く聞いているわけではない。少なくとも、よく覚えてくれてはいない。(中略)
しかし、「最後のひとこと」はよく覚えている。そのひとことが、番組や講演全体の記憶として残る。
・さまざまな対象について、人間の身体に喩えるのは、最も有効だ。人体ほど精巧に発達したものはないからだ。(中略)
いくつかの例を紹介しよう。(中略)
◆高速道路は動脈だが、毛細血管にあたる市町村道も重要だ。
・人体以外のものを、比喩に使うことができる。
【1】自動車の部品や装置(中略)
「会社を発展させるには、技術という強力なエンジンが必要だ。
同時に、間違った方向に暴走しないためのブレーキ役と
なる人も必要である」というように。
【2】会社の組織(中略)
「企画部門ばかり強くて営業が弱い会社のようだ」(中略)
【3】誰もがよく知っている人名(中略)
◆ナポレオンとヒトラーをあわせたようなことになる。(中略)
【4】歴史的事実(中略)
◆日本経済は、氷山に衝突する直前のタイタニック号のような状態だ。(中略)
【5】特定の機能を表す代表的な地名
◆すべての道はローマに通ず。
◆わが町での銀座通り。(中略)
【6】スポーツもしばしば有効
◆マラソン選手に短距離を走らせるようなものである。
◆ボールなしにサッカーをやろうというようなものである。
【7】自然現象(中略)
◆月が地球の周りをまわるようなものだ。(中略)
【8】漢語を用いた表現
「人生にはいろいろなことがあって・・・・・・」と長々と述べるより、「塞翁が馬」というほうがよい。一般に、長い表現は印象を散漫なものにする。(中略)
◆韓信の股くぐり、泣いて馬謖を斬る、孔明の嫁選び、三顧の礼、桃園の契り、死せる孔明生ける仲達を走らす、等々。
・数字で示すのも、具体的に示す一つの方法だ。(中略)
数字の示し方にもテクニックがある。大きな数字は、感覚的に把握できないことが多い。こうした場合、「宇宙が誕生したのが一年前だとすると、恐竜の時代は五・七日前から一・五日前まで続いた。原人が誕生したのが十六分前で、エジプトに農耕文化が始まったのは十四秒前前である」と説明すれば、相対的な時間感覚が把握できる
大きな数字の示し方
宇宙の誕生 (約160億年前) 1年前
地球の誕生 (約50億年前) 114日前
生命の誕生 (約30億年前) 68日前
恐竜の誕生 (約2億5000万円前) 1.5日前
ジャワ原人、北京原人の登場 (約50万年前) 16分前
エジプトでの農耕開始 (紀元前5000年前) 14秒前
・比喩を用いると、複雑な論理や抽象的な概念を、簡単にかつ印象的に説明することができる。人体は比喩に便利に使える。抽象概念に適切な命名をするのも、比喩の一種だ。
・文と文との論理的な関係は、つぎのような接続詞を用いて、明瞭に示すべきだ。
◆論理を進める場合------したがって、だから、このため、それゆえ、ゆえに、かかるがゆえに、結局。
◆根拠を示す場合------なぜなら、その理由は、というのは。
◆論理を反転する場合-------しかし、それにもかかわらず、だが、ところが、ただし、けれども、他方で。
◆話題を深める場合------実際、事実、そういえば、よく考えれば、さらに、たしかに。
◆同列の記述をする場合------つまり、換言すれば、言い換えれば。
◆話題を転じる場合------ところで、さて、一方、他方で、ない、では。
・谷崎潤一郎は、『文章読本』の中で、こうした接続詞の使用は控えるべきだしている。同様の主張をする人は、他にも多い。文学では、たしかにそうであろう。しかし、論述文ではむしろ多用するほうがよいというのが、私の考えだ。
○化粧する------- 一〇〇回でも推敲する
・誤字・脱字を根絶せよ(中略)
私は、私の名前を間違えて書いている郵便物やメールには、真面目に対応しないことにしている。送り手は誠実でないか。私を軽視しているか(あるいは両方か)だからである。
・漢字・ひらがな・カタカナの比率
原則的には、名詞は漢字、動詞の語幹も漢字、副詞や接続詞はひらがなとする。漢字とかなの比率が、適切になるようにする。漢字が多いと、堅苦しい重い印象になって読みにくい。他方で、かなが多すぎると、幼児的印象を与える。三種類の文字を使えるのは日本語の特徴なので、十分に活用しよう。
・表記や用語を統一する。
「分かる」と「分る」、「わかる」、「行なう」と「行う」、「おこなう」などは、どれも許される。ただし、文章全体を通じて統一する。動詞の「言う」と「いう」の混在は許される。
・削りに削る
だらだらした表現は、簡潔にしよう。
・同一表現を避ける
同じ表現が繰り返されないよう気をつける。とくに、接続詞や副詞は、同じ意味が続いてしまいがちなので、注意が必要だ。また、「しかし・・・・・・、しかし・・・・・・、しかし・・・・・・」「なお・・・・・・。なお・・・・・・、なお・・・・・・」となることもよくある。
●書籍『「超」文章法』より
野口 悠紀雄 著
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