デビッド・カークパトリック 氏 書籍『フェイスブック 若き天才の野望』より
このページは、書籍『フェイスブック 若き天才の野望』(デビッド・カークパトリック 著)から、良かったこと、共感したこと、気づいたことなどを取り上げ紹介しています。
・ぼくは会社を経営したいわけじゃないんです。ぼくにとってビジネスというのは、ぼくの考える目標を達成するための手段に過ぎません
・フェイスブックのユーザーにはひとりあたり平均130人の友だちがいる。500人以上の友だちがいるユーザーも珍しくない。しかしそんなにたくさんの友だちを本当に持てるものだろうか?
・全世界のインターネットユーザーの数は17億人と推定されているから、その20パーセント以上がフェイスブックを使っていることになる。
・パーカーの知性と経験は多少のリスクをはるかに上回る、というのがザッカーバーグの判断だった。なんにせよ、パーカーはあのナップスターを立ち上げた男なのだ。
・グーグルの幹部も何人かが、ザ・フェイスブックと何らかの形で提携するか、あるいは買収できる可能性があるかどうか探りに来た。
・ザッカーバーグたちが目指すものとグ-グルが目指すものはまったく違っていた。グーグルの対象がデータであるのに対し、ザ・フェイスブックの対象は人間だった。
・マイスペースは当初、数あるフレンドスター・クローンのひとつとして生まれた。
・ザッカーバーグはハウスシステムについて「難しいのは機能を追加することでじゃない。どんな機能を付けないか、なんだ」
・コミュニケーションのツールとして極めて強力になったため、若者はもうメールを使わなくなってしまった。
・(※ザッカーバーグ)は感情を内に秘めてめったに表に表さない性格だ。
・2005年の末までにフェイスブックはサーバーとネットワーク機器の購入だけで440万ドルを支出した。
・ザッカーバーグにとって一番やりたくないのはわが子ともいうべきフェイスブックを売ることだった。ザッカーバーグがスタンフォード大で講演した際、聴衆からいわゆる「出口戦略」について質問が出た。(中略)
「・・・ぼくらはクールなことをやっているんだから、それでいいじゃないか。悪いが、出口戦略なんか考えたことがない」
・ザッカーバーグはザ・フェイスブックを「人間を登録する電話帳」にたとえた。少なくともそれが、彼が最初につくろうとしたサービスだった。
・フェイスブックでは実名を使うため、自分の発言には責任が発生する。インターネットでは多くの人々が、不快、無礼、悪意に満ちた発言をする時には、偽名という盾を使う。
・多くの人たちが、メールアドレスや携帯電話番号を交換しなくなった。フェイスブックで探せばよい。この簡単な名簿機能は、フェイスブックで最も疑う余地のない価値のひとつである。フェイスブックにいない人々は、一部の人たちの間で徐々に、友人や知人から連絡の取れない人であると見られている。
・「われわれは、今すぐどうやってこれで儲けるかという疑問に、無理に答えるつもりはない。市場でのポジションが強化される限りは、儲け方は後で考える」当時彼はそう言った。つまりザッカーバーグには見えていたのだ。
・「ぼくは毎日のようにこう自問している『今ぼくは自分にできる一番大切なことをやっているのだろうか』と」
ザッカーバーグ談
・フェイスブックのここ数年来の注目語が「ダサい奴になるな(Don't be lame」だ、コックスによるとその意味は、もっと金を儲けるためだけや、みんながやれと言うからというだけの理由で何かをするな、ということだという。これはグーグルの「邪悪になるな(Don't be evil)」と対照をなすフェイスブックのモットーだ。
・フェイスブックは簡単に言えば、ミクシィのような友だちとの交流機能とツイッターのようなリアルタイム掲示板機能に加えて、ゲームをはじめとするさまざまなアプリケーションを作動させる機能を兼ね備えた非常に強力なソーシャルネットワークである。
・まだ小さなスタートアップ企業だった時代に清涼飲料のスプライトのプロモションで、「1日だけページの主要な色をブルーから緑に代えてくれたら100万ドル払う」と持ちかけられたが、まったく取り合わなかった。「ユーザー体験を損なうような広告は一切認めない」というのだ。(中略)
数千億円のキャッシュを目の前に突きつけられても平然と自分の理想を追うというのはやはり人間ばなれしている。
・『ソーシャル・ネットワーク』の原作の原題は『ジ・アクシデンタル・ビリオネーゼ(偶然の億万長者たち)』だ。どちらかと言えば、ザッカーバーグを提訴した元親友で前CFOのエドゥアルド・サベリン寄りの内容に見受けられる(ザッカーバーグは取材を拒否した)。
●書籍『フェイスブック 若き天才の野望』より
デビッド・カークパトリック 著
小林 弘人 解説 その他
滑川 海彦 翻訳
高橋 信夫 翻訳
日経BP社 (2011年1月初版)
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