上阪 徹 氏 書籍『書いて生きていく プロ文章論』より
このページは、書籍『書いて生きていく プロ文章論』(上阪 徹 著)から、良かったこと、共感したこと、気づいたことなどを取り上げ紹介しています。
・キャッチコピーからつながるボディコピーに徹底的にこだわりました。冒頭の文章を印象的なものにして、一気に読ませる流れを作る。気がついたら全部読んでいた。そういう文章を作る。それは今も心がけていることです。
・それは、誰に向かって書く文章ですか?(中略)
深くターゲットを絞れば絞るほど、意外にも他のターゲットにも気になる内容になることが少なくありません。男性が女性誌を読んで面白い内容に出会えることもありますし、逆もしかり。凡庸な情報よりも尖った情報のほうが人は気になるのです。そのためにも、誰に向かって書く文章なのか、をはっきりさせなければなりません。
・自分で理解したことを書いていますか?(中略)
借りてきた言葉は所詮、借りてきた言葉でしかありません。それは自分の頭の中を通過して、出てきたものではないのです。当然、読者には響きません。
・上手に見せようとしていませんか?(中略)
うまく見えるような言葉や文章を選んだり、実は自分ではいまひとつ腹落ちしていないフレーズを使ってみたりする。そうすることで、本来ならわかりやすく書けていたはずの文章が、むしろわかりにくくなってしまったりするわけです。
・何を伝えたいか、整理できていますか?(中略)
何より文章では、「どう書くか」ではなく、「何を書くか」のほうがはるかに重要なのですから。
・何を書くか、を自分本位で決めていませんか?(中略)
文章を書く目的があって、対象となるべき読んでほしいターゲットがいて、そのターゲットに読んでもらえるような文章にしなければならない。(中略)自分本位で書きたいことを決めるのではなく、ターゲットを意識して「何を書くか」の優先順位づけを行なうべきだと思うのです。
・導入に気を配っていますか?(中略)
導入に、最も印象深い内容、気になる内容を盛り込み、出だしに気をつけるのです。想定した読み手が、「おや?」「あれ?」「ん?」「なんだこりゃ?」と思う内容や表現、「え?」「すごいな?」「ホントかよ?」と思えるような内容(数字や事実)を入れるのです。
間違ってもやってはいけないのは、「私は~」といったごく普通の始まり方だと私は思っています。
・自分で読み返してみましたか?(中略)
私は原稿を一通り書いたあと、まずはざっと読み返します。2度目に読み返したとき、構成を確認します。3度目に読み直したときには、言葉を確認します。そして4度目に読み直すときには、リズムを確認するのです。いかに読みやすい文章になっているか。スムーズに理解できるか、です。
・書いた後、寝かせていますか?(中略)
読み手は、必ずしも熱い状況にありません。そうすると、熱い書き手とギャップが生まれてしまうのです。そこで、原稿を寝かせ、時間が経ってから読み直すことが意味を持ってきます。醒めた目線、読み手の目線で、原稿に再び接することができるわけです。
・私は、スポーツ選手の取材にもネクタイを締めて出かけます。これは実は狙いがあります。スポーツ系ではネクタイを締めたライターはまずいないそうです。だから、相手から新鮮に受け止めてもらえるのです。そうやって、「なんだか、いつもと違う話をしてしまった」と言ってもらえたことが何度もありました。
・質問項目を考えましたか?(中略)
自分がライターとしてどう聞こうか、と考えるよりも、読者なら何を聞きたいだろうか、と考えていったほうが、はるかにイメージが膨らんできます。
・目的、意図は明快に説明していますか?(中略)
話す側としても、どんな人が読んでいるのかで、話す内容や話し方が変わってくるということです。
・最初の質問は答えやすいものにしていますか?
・話が長い人にうまく対応していますか?(中略)
いきなり口をはさむのは、難しいものです。そこで、私は手を上げることにしています。手を上げたあとに、「社長、ちょっといいですか」という具合で、話をもとのインタビューに引き戻すのです。
・現在はユニのジェットストリームを使っています。
※参考:http://www.mpuni.co.jp/product/category/ball_pen/jetstream/
・その仕事のキモが理解できていますか?(中略)
職業文章家として重要なことは、文章の巧拙の前に、まずはこのキモを外さない
・成功には実はセオリーなどない、いろんな成功の形があるのだということ。幸福のモノサシは自分自身の中にある、幸せかどうかは実は自分が決めるのだ
・コラム3 書籍を作る(中略)
私は、例えば全体を5章立てにし、1章で原稿用紙60枚、ひとつの章の要素が原稿用紙5枚で12要素、というイメージで構成をします。
・嫌いで苦手だったから、やってこられた(中略)
常に文章に苦手意識を持っていたからこそ、私はどうすれば苦手意識が克服できるのか、もっとうまく書けるようになるのか、をずっと考え続けていました。実は今になっても、その意識は抜けていません。これがもし、文章が得意で自信があったならば、果たして同じことができたかどうか。これもまた、人生の不思議さを感じてしまいます。得意なことで生きたほうがいい、というわけでは必ずしもない、ということです。
苦手だと感じていたことが、実は人から求められることがある。それは、苦手を脱却したいと常に模索してきたから。逆に言えば、得意だと感じていたことが、他の人には魅力に感じられないないこともある。
●書籍『書いて生きていく プロ文章論』より
上阪 徹 著
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