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柴田 光滋 氏 書籍『編集者の仕事~本の魂は細部に宿る』より

このページは、書籍『編集者の仕事~本の魂は細部に宿る』(柴田 光滋 著)から、良かったこと、共感したこと、気づいたことなどを取り上げ紹介しています。


・原稿には三種類ある(中略)

本となる原稿には大雑把に言って三種類あるということです。すなわち、未発表の原稿、新聞や雑誌などの活字媒体に発表された原稿、すでに本となっている原稿。(中略)


すでに本として刊行された原稿。文庫や全集の原稿は大半はこれ


・単行本の判型を決める手掛かりはまず内容。四六判がもっとも一般的で無難ですが、軽妙なエッセイ集ならやや小ぶりなB6判か、大作ならA5判か、といった具合に考えます。(中略)


読者層も大事なファクター。A5判はサラリーマンが通勤電車のなかで読むものには不向きですが、本好きが家でゆったり読むものなら検討に値するわけです。


・行数の決定には原稿の内容も関係してきます。原稿は著者によっても、内容によってもさまざま。改行の多い原稿と少ない原稿、漢字の多い原稿と少ない原稿、ルビをかなり必要とする原稿とさして必要としない原稿など、作品ごとに異なります。


・新潮新書が39字組の理由(中略)

余白、特に地の余白を考えた結果でした。(中略)新書の読者はサラリーマンが多い。しばしば彼らは通勤電車のなかで読む。とすれば、吊革につかまって読むことも少なくないだろう。(中略)


新書の地を指で支えるとすれば、親指が本文にかかっては読みにくい。ただし、余白のバランスは崩したくありません。そう考えると、40字ではほんの少しきつくなる。その結果として39字だったのです。


なお、行数まで限定してしまうと融通がきかないので、新潮新書では13行から15行までを基本としました。


・1頁は存在しない(中略)

昭和のある時期までを別とすれば、現在ではどの本を開いても、まず1頁とは出ていません。ノンブルは本文の始まりと同時に奇数頁から登場するのが普通です。


縦組なら本文開始の基本は左頁。それまでの扉や目次とは区切りをつけるために、改丁(「別丁」とも言うが、この言葉は本文紙とは別の種類の紙を指すこともある)、つまり丁(裏表で一枚となるもの)を改めるからです。


・ある時、外国の書物に詳しい方から「西欧の本に比べて、必要な索引がないのは日本の書物の欠点ではないか」と指摘されて、「たしかに」と大いに反省したものです。以後、読者の立場に立って便利と思えば、できるかぎり設けるようにしてきました。


・奥付はなぜ左頁なのか(中略)

改丁と改頁の違い(中略)

奥付は「本の戸籍」なととも呼ばれ、出版社が読者に対して記すべき書籍の基本データです。著者の頁ではなく、出版社の頁。ですから。改丁にしてそれまでの流れを切って独立させたいわけです。(中略)


場合によっては、最終頁、つまり右頁にしかスペースが残っておらず、やむなくそこを奥付することはあります。これは仕方がないにしても最後の手段、あれこれと手を使えば何とか改丁にできるものです。


・奥付からは定価表示も消えました。今ではジャケットや函に記されているだけです。物価上昇がはなはだしかった高度成長期、増刷のために定価が変更され返品の旧定価は直す煩(はん)を出版社が避けたことが始まりで、消費税導入で決定的になりました。


・新潮社の書籍の場合、奥付の書名と著者名にはルビが振ってあります。実施は一九七〇年から。読者や図書館に対する配慮で、現在ではなかり一般化してきました。しかし、今もってルビなし本が少なくないのは残念。


・校正は編集者もしないわけではありませんが、本来は別の役割。編集者はどうしても流して読んでしまうので、きちんとした校正はまずできないからです。


・校正は「校閲」とも「校合(きょうごう)」とも言います


・「10点」「10点」「一〇点」「十点」も同様。あまりバラバラで、どうしたらいいか、唖然とする時すらあります。統一の方針としては、著者の多用する表記に合わせるのが一つ。もう一つは、例えばもし数字の頻出するような原稿なら、算用数字を原則にするなど、原稿の内容に合わせることです。


・引用の体裁は、本書のようにできれば前後1行アキ、引用文全体を本文天より1字下げにすると、すっきりして読みやすいでしょう。あるいは鍵カッコに収めても問題ありません。


・著者は校正者と編集者が目を通したゲラを手に入れますが、これを著者校正、略して「著者校」と言います。


・四十年近く経ていても、欧文書体を扱うときにこれほど便利な見本帖はありません。もちろん活版印刷時代のものであり、その後に開発された欧文書体があるにしても、今日でも十分に役立つ。

※『KOBUNDO TYPE BOOK』(一九七三年)
晃文堂という活字会社が出したもの


・?や!の乱用は避けたい(中略)

文章が空振りの多いボクサーみたいなことになってしまう。あくまで必要な補助として使うべきものです。


・表罫と裏罫。「表」と「裏」と呼ぶ由来は、活字と縦の寸法が同じ金属板の一端を尖らせたのが表罫、尖らせていない反対の一端が裏罫


・装幀は正しい表記か(中略)

ソウテイの正しい表記とは・・・・・・。「装丁」や「装釘」という表記も少ないありません。しかし、本来は誤用だとされています。これは装幀に携わる人にとっては常識と言ってもいいでしょう。


・今や絶滅に近い原稿用紙にイエロー系が多いのは、何より目が疲れないからです。文芸色の強い本はイエローが主流で、それもやや濃くて赤みがかかったものがよく使われてきました。(中略)


赤みがかかったイエローにくっきり墨の文字が印刷されているものは、どこか格調が感じられ、読みやすくもあり、個人的には好んで使ってきました。


・かつては少しの珍しくなかった函入り本が激減したのには理由があります。一つには定価を抑えるためであり、もう一つには長期保存の必要のない本には無用のものだからです。


・紙の表紙では手の湿気が表紙を劣化させてしまう。その点、耐久性においてビニールに勝る表紙はありません。ビニールと言うと安っぽく感じられるかもしれませんが、実は紙より高価。


・函とジャケットでは左右が逆になってしまう


・編集者にとって、聞き書きとはその世界の第一人者の方から長時間にわたって独占的に話が聞けるチャンス。よく私は「月給をもらった上に最高の授業が受けられる」などと冗談を飛ばすのですが、これもまた編集者冥利に尽きる仕事です。


●書籍『編集者の仕事~本の魂は細部に宿る』より
柴田 光滋 著
新潮社 (2010年6月初版)
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