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湯浅 邦弘 氏 書籍『菜根譚~中国の処世訓』(中央公論新社 刊)より

このページは、書籍『菜根譚~中国の処世訓』(湯浅 邦弘 著、中央公論新社 刊)から、良かったこと、共感したこと、気づいたことなどを取り上げ紹介しています。


・中国では長く厳しい乱世が多くの処世訓を生んだ、中でも最高傑作とされるのが、明末に著された『菜根譚』である。社会にあって身を処する世知と、世事を離れ人生を味わう心の双方を記したこの書


・竹簡を並べて紐で綴じた状態が「冊」であり、それを机の上に載せると「典(てん)」になり、巻いて保存するから「巻」という。竹簡の綴じ紐はときどき切れることがあり、竹簡を綴じ直す際に配列を間違えやすい。これは「錯簡(さっかん)」という。


・人、常に菜根を噛み得ば、即ち百事做すべし(なすべし)。
人は常に菜根(野菜の根)をよく咬んでいれば、あらゆる事はなしとげられる。


・興味深いのは、これらの多くが幾度も版を重ねていることである。発行部数は定かではないが、増刷・重版が多いということは、それを求める読者が常に一定数いたことを示しているであろう。『菜根譚』は単なる過去の本だったのではない。時代ととも再生し、読み継がれているのである。


・岩波文庫の『菜根譚』(今井宇三郎、一九七五年初版)と講談社学術文庫の『菜根譚』(中村璋八・石川力山、一九八六年初版)がある。いずれも、『菜根譚』を全訳した大変な力作である。


・次のような孔子の言葉がある。弟子の子張が仕官のポイントをたずねたのに答えたものである。

水至って清ければ即ち魚無く、人至って察なければ即ち徒無し。(入官篇)

あまりに水が清潔であると、魚は身を隠す場所がなくなって、やがてそこには棲息できなくなる。人もあまりに洞察力が鋭いと、周囲の人々は身の置き所がなくなり、やがて輩(やがら)はいなくなってしまう。極度な清廉さがあだになり、人から親しまれなくなることをいう。


・孔子の弟子門人は三千人。その中で、最上級の弟子を「四科十哲(しかじつてつ)」という。四科とは、孔子が弟子たちに教えたという四つの学科で、「徳行」「言語」「政事」「文学」。十哲とは顔回、閔子騫、冉伯牛、仲弓、宰我、子貢、冉有、季路、子游、子夏の十人(『論語』先進篇)。顔回は、十哲の筆頭で、「徳行」の第一人者と評される。


・金品はいつかつきてしまうが、すぐれた言葉は永遠にに残る。これを『菜根譚』は「無量の功徳」というのである。「無量」とは計り知れないという意味である


・過保護は危険(中略)

人を幸せにするのは、何も過剰な愛だけではない。むしろ、ちょっとした心配りが、相手を幸せにするのである。


・大功(だいこう)は拙なるが若し(ごとし)。(第四十五章)

本当の巧みとは、一見、拙いようだという意味である。巧みさをことさらに見せびらかすようでは、まだ本当の巧みとはいえないのである。あらゆる技術・芸術についていえる真理。


・善行は轍迹無し(てつせきなし)。第二十七章

うまく道を行く人は、車の轍や足跡を残さないという意味。本当の善意・善行は、人目にはつかないのである。


・読書にふさわしい時にとはいつか。忙しい日々に、落ち着いて読書するような暇があるのか。こうした問いかけに、三国時代の董遇という学者はこう答えた。「三余」を使って読書せよ、と。三余とは、一年のあまりある冬、一日の余りである夜、そして季節の余りである雨の日、の三つである。


・『菜根譚』は、中国を代表する処世訓の書である。(中略)そもそも「処世」とは、この世で暮らしを立てること、この世を渡っていくこと。加えて、巧みに生きていくことを表している。(中略)歴史から学ぶ(中略)過去の成功例、失敗例から多くのことを学び、それを将来の指針として活かしていく。


●書籍『菜根譚~中国の処世訓』より
湯浅 邦弘 著
中央公論新社 (2010年2月初版)
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