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市川 隆 氏 書籍『正攻法の着想』(三五館 刊)より

このページは、書籍『正攻法の着想』(市川 隆 著、三五館 刊)から、良かったこと、共感したこと、気づいたことなどを取り上げ紹介しています。


・アメリカでラーメン店を、とくに白人相手に始めようという人が現れなかった理由は、次のようなものではないかと分析していました。

第一に、アメリカ人は猫舌で熱い汁ものは苦手です。第二に、商品ポジションとして、スープなのかヌードルなのか、はっきりしません。そして第三に、フォークを使って食べるにしても、ズルズルと音を立てるのはマナーの上で禁物だということです。


・やがて日本の寿司屋でも冷凍ものが、ごく当たり前のものとしては、広く使われるようになる。アメリカのほうが、必要に迫られて一足先に踏み出したということだろう。こうして冷凍寿司ダネは定着していった


・アメリカで「発見」された寿司ダネが、本家本元に日本に逆上陸した例はいくつもある。その一つが子持ち昆布だ。もともと天然の子持ち昆布は、アラスカの先住民族(エスキモーやイヌイットと呼ばれる人たち)だけに採取が許された希少海産物だった。(中略)


寿司ダネとしての鰻も、日本より先にアメリカで広まった。


・ロサンゼルスに寿司が定着するまで、その発展を次の三つの段階に分けることが可能だと思う。

第一段は六〇年代前半。リトル・トウキョーで、人数が増え始めた日本企業の駐在員などを主要な顧客とする店(寿司コーナー)がまず登場した。

第二段は一九七〇年代の半ば以降。ビバリーヒルズおよび周辺地区に、ハリウッドスターを含む映画関係者を上得意とする寿司バーが現れ、徐々に一般の白人の間で食べられるようなった。

第三段は八〇年。テレビドラマ「ショーグン」の大ヒットをきっかけに、寿司ファンの裾野が一機に広がり、これ以降、寿司バーはロサンゼルスの全域に展開する。


・食養法を提唱した桜沢如一(さくらざわ ゆきかず)の玄米食運動がある。


●書籍『正攻法の着想~金井紀年のビジネス理念と食の日米史』より
市川 隆 著
三五館 (1996年5月初版)
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