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中島 誠之助 氏 書籍『ニセモノ師たち』(講談社 刊)より

このページは、書籍『ニセモノ師たち』(中島 誠之助 著、講談社 刊)から、良かったこと、共感したこと、気づいたことなどを取り上げ紹介しています。


・ニセモノにひっかかる三条件(中略)


第一条件:その品物を買ったら儲かると思ったとき(中略)

他人にそそのかされたり、世の中の風潮に踊らされて買い求めたいという場合はとくにキケンがともないます。


第二条件:勉強不足

マニュアルどおりの工程で作陶をしたからといって、お手本どおりの作品が生まれるでしょうか。(中略)マニュアルを超えた美意識、広範囲な知識として時代背景の研究と、経験による感性の訓練が本来は必要であり、それらを欠いた勉強すなわち勉強不足から、「ひっかかる」という悲劇が生まれるわけです。


第三条件:おカネがあること(中略)

人間はハングリーでなければいけない。買いたくてもどうしても買えない。喉から手が出るほどほしいけどおカネが足りない。それを買うために努力をしなければいけないという状況に置かれたときのほうが、モノに対しての審美眼が研ぎ澄まされる。(中略)


だから逆の立場でいうと、ニセモノを売りつけるにはそういう相手を探せばいいわけです。


・ニセモノと交わればニセモノになる(中略)

最初の出発点を高く設定することが、目筋を高めていく最良の方法だと思います。出発点を高くする唯一の方法は、感受性の豊かなうちに、予備知識をあまり持たずに、名品名作そして伝承のはっきりしたものを、いやというほど、そしてむさぼるように観ることです。これしかありません。


・箱書きとは、これは自分が作ったものだというしるしにすぎません。ですから、箱書きがあるからモノがいいとか、値段が高いと考えるのは間違いのもとです。


・酒器にまつわる話です。日本人は、今の昔も盃や徳利などの酒器に関しては不思議と極端におカネを出す民族です。たとえば、桃山時代の黄瀬戸の六角盃は、いまならば五百万円以上はします。盃一つに五百万円を投じることができる民族は、世界中どこを探しても日本人しかいないと思います。


なぜならば、酒を飲むことに哲学的ともいえる情感を持ち、その酒器を擬人化して心のうちを語りかけるからなのでしょうね。単に酒を飲む器としてではなく、盃や徳利を愛でるという美意識を日本人は持っているのです。


・だまされる素人の三法則(中略)

法則その1:欲が深い(中略)

法則その2:出発点のレベルが低い(中略)

初めての買い物で一流骨董品のウインドーに飾ってある骨董品を買ってしまうというのは、高度なスタート(中略)

法則その3:適度に小金があり、教養もあること(中略)

具体的に書くと、戦前の東大以外の帝国大学出や、たとえば京都や仙台でロマンにあふれた青春時代を過ごしたという人がニセモノにひっかかりやすい。(中略)


私はいちばん強調したいことは、無欲で、出発点を高くすれば美意識が磨かれ、買ったモノの価値がおのずと増していくものだいうことなのです。


・骨董の世界でいう「ヤマが深い」というのは、「欲が深い」という意味です。


・プロの鑑定とは、品物を実見する前の段階で真贋がわかるようでなければいけないのです。


・人の家を訪ねて、玄関に虎の毛皮が置いてあったらならばその家にはロクなものはないから、すぐに帰ってきたほうがいい(中略)たいていが成金趣味でありコケ脅しの人たちが多いものです。


・日本のかつて栄えた土地の旧家には、玄関に鍋島の緞通が敷いてあり、そのような家の奥にはかならず名品、お宝が眠っているものなのです。


・日置陽久(ひおき・はるひさ)さん(中略)岡山県出身の先輩業者で、古備前に関しては日本一の目利きといわれる人物


・プロというものはひっかかったいうことを表に出しませんし、キャンセルもしません。キャンセルするような業者だったら、将来大成しません。おカネの痛みというものをぐっと堪え、苦い経験を背負って遠い道を歩くというのが骨董商の姿なんですね。


・繭山龍泉堂は東洋古美術の老舗で、ご主人の繭山順吉氏は中国古陶磁器と明清絵画の第一人者です。


・古書画界の重鎮、もう名前を明かしてもいいでしょう。「伸美堂(しんびどう)」の新井峯吉さん


・掛軸のニセモノの見分け方を一つ伝授いたしましょう。掛軸の汚れに注目してみてください。新しい掛軸に時代をつけるために、掛軸全体をまんべんなく汚しているのは、素人衆の稚拙な手段です。通常、仏画などは掛軸の下方で香をたきますから、全体が均一に汚れるわけはないのです。香の煙は上にのぼっていって、掛軸の上のほうから薄黒くすすけていくわけです。


・ここで思いきって申し上げましょう。昔から「掛軸を見たらニセモノと思え」といわれてきたとおり、書画掛軸の九割がニセモノといっても過言ではありません。


・私はオークション会場に対して浮気をせず、特定の市場だけを大切にして仕入れをします。ですから品物が一ヵ所に集まるわけです。


・基本的な商売原理。いいモノをうまいことやって安く買おうなどと、これっぽっちも思っていない。いいモノは高く仕入れてかならず高く売る、というのが私の基本的な商売の姿勢なんです。悪くて安いモノを買ってきて、それを高く売りつけるなどという商売は絶対に伸びないと思っていましたから。


・現代社会のおける「目利き」は、目利きした結果を人に話す必要がなく、あくまでも自分のためにする行為だといえます。そのものがホンモノか、ニセモノか、(中略)すべてを自分の頭のなかで判断・分析するのが目利きです。(中略)


一方、「鑑定」は人に教えるものなのです。だから目利きの人、あるいはプロの骨董商は鑑定をしません。私に鑑定をしてくださいという方が多いのですが、私は公私にかかわらず個人的な鑑定をいっさいしません。(中略)


なぜならば、鑑定して鑑定料をもらうということは、プロの目利きの社会から見ると骨董商の仕事ではないからです。


・ニセモノには、よく立派な毛筆で書かれたり麗々しく印刷されてサインが記入してある鑑定書がついているものが見受けられます。骨董品に鑑定書がついているということ自体、だいたいがあやしいとプロは直観で読むわけです。


・ホンモノとニセモノをどうやって見分けるんですか、という質問をよく受けます。通常用意してある答えは、品物は口を利かないけれど人間は口を利く。その声に耳を傾けなさい。人間心理を解析しろということをいいます。


・ウチの親父は何もいわなかった。教えてくれない。悔しいから、夢中になってむしゃぶりついて、後を追っていった------。だから私は目利きとして仕事を受け継ぐことができたのだと思います。


・人類におけるもっとも古い職業が売春であったとする説と同じく、偽物は文明が興ったと時を同じくして存在していたのではなかろうか。売春は生理の欲望ゆえであり、偽物は理知の欲望の結果である。形と姿が変わっているだけで、両者とも人類の文化を裏面から支えてきたものであることに変わりはないのである。


●書籍『ニセモノ師たち』より
中島 誠之助 著
講談社 (2005年7月初版)
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