小笠原敬承斎 氏 書籍『誰も教えてくれない 男の礼儀作法』(光文社 刊)より
このウェブサイトにおけるページは、書籍『誰も教えてくれない 男の礼儀作法』(小笠原敬承斎 著、光文社 刊)を読んで良かったこと、共感したこと、気づいたこと、こんな視点もあるといった点などを取り上げ紹介しています。
・小笠原流礼法は、約七〇〇年前の室町時代に確立した武家の礼法である。つまり、「男」のために生まれた礼法であった。
・「こころ」とは、相手を大切に思うこころである。「かたち」とは、そのこころを行動によって表すことである。つまり、「作法」は「かたち」である。
・男性は、男性特有の「直線的な美」を通じて、凛々しい印象を作り出すことができる。一方、女性は、女性特有の「曲線の美」を通じて、優雅な印象を作り出すことができる。
・身分にかかわらず、他者への思いやりやいたわりのこころを持つことは大切であり、さらに自分の利益ばかりに重きを置くのではなく、自分の分際にしたがって、周囲に対してこころを尽くした行動が重要である
・身分にかかわらず、他者への思いやりやいわたりのこころを持つことは大切であり、さらに自分の利益ばかりに重きを置くのではなく、自分の分際にしたがって、周囲に対しいてこころを尽くした行動が重要である
・ある日、大名の食膳に虫の死骸が入っていたことがあった。しかし、もしも大名がそれに気ついた素振りを周囲に見せようものなら、料理を作った人は切腹をする騒ぎになってしまうので、そのようなときは無理をしてでもご飯と一緒に飲み込んでしまったそうである。現代において、トップに立つ人のどれほどが、このような潔い行動をとっているのかは疑問である。
・「仁」は「人」と「二」から成り、重い荷物を背負って背を丸くした人の意で、また「二」は悲しみの意も表すといわれているから、ひいて、「しのぶ」、「したしむ」、「いつくしむ」、「おもいやり」、「さなけ」などの意味がある。
「義」は「羊」と「我」から成り、舞の美しい姿、礼を行う美しい姿の意で、ひいて、「礼にかなった美しい立ち居振る舞い」、「道理」、「ただしい」、「譲る」、「よい」などの意味がある。
・「仁に過ぐれば弱くなる。義に過ぐれば固くなる」という伊達政宗のことば
・正座を身につけるポイントは、次の通りである。
●髪の毛を上から引っ張られているようなイメージで上体を伸ばし、下腹部(腹筋と背筋いずれにも)に力を入れ、背骨を腰につき刺す感じで背筋を伸ばし、腰を据える。このとき、肩や首に無駄な力が加わると、堅苦しい印象となるので注意する。
●膝元は、男性が握りこぶし一つ分程度を開ける(女性は合わせる)。
●足の親指は、三、四センチ程度、重ね合わせるように。足がしびれそうになったさいは、両足の親指を反対の重ねにしてみたり、親指を少々、上下に動かすとよい。
●手元は、親指を揃えて軽く丸みをもたせ、改まっているときは手を重ねず、腿の上に自分からみてハの字になるように置く(椅子に座っているときも同様)。
●顎を引く。
●呼吸は腹式呼吸をこころがける。
●和室においては正面に視線を置かず、一メートルほど先を見るように。
・洋装での歩き方について、ポイントを紹介する。
まず、髪の毛を上から引っ張られ、下腹部を少々引き上げるイメージで、正しい姿勢を保つようにこころがける。踏み出した足は膝を伸ばした状態で、かかとから着地させるが、このとき勢いよくかかとを着けることは避けなければならない。(中略)
男性も靴音が大きいと品格を損なうため、音への配慮も忘れてはならない。
・昔から高い席に座りたいと思う気持ちは、卑しいものとされてきた。
・なぜ床の間に近いところが上座になるのか。その理由の一つに、「押板(おしいた)」と呼ばれていたものを床の間の起源とする説があげられる。(中略)押板には、僧家の影響により仏画像が掛けられるほかに、三具足(みつぐそく/花瓶(かへい)、燭台、香炉)が飾られて礼拝することが多かった。そう考えると、床の間は和室において最も神聖な場所であり、だからこそ床の間に近い席が上座をなることがおわかりいただけるのではないだろうか。
・自分の感情をすぐにかたちに表すことはできる限り避けたい。たとえば、同行している人が「暑い、暑い」と何度も声に出していうと、こちらもますます暑い気分になることがある。だが、(中略)夏物の和服を涼しげな顔で着ている人の姿を拝見できたときは、それだけで涼しげな気分になる。
・相手に物を渡すさいには、取り回しといって、まず物の正面を自分に向けて持ち、さらに相手へ正面が向くように回すことが礼儀とされているが、目の不自由な方に対しては、その動作を省くことを薦めている。
・「箸先五分、長くて一寸」(一寸は約三・〇三センチに当たる)といわれるように、箸先の汚れは少ないほどよい。
・楊枝(中略)脇を向いて使用するのはもちろんのこと、使い終わった楊枝は持ち帰ることが当然だったのである。
・「酌の心得」(中略)
酌を受けるさいに酒が飲めない人は、盃を受取るとすぐに酌人の顔を見る、酌人は、このしぐさで相手が酒を飲めないことを察して、お酒を注ぐ真似をしたのである。
・小笠原流には酒の注ぎ方に関する作法も存在する。最初と最後は鼠の尻尾程度に少なめ、中間は馬の尻尾程度に多めに注ぐようにすると、酒をこぼす粗相がないのである。これは「鼠尾(そび)、馬尾(バビ)、鼠尾(そび)」という。
・敬語の使い方(中略)
敬語で大切なことは、こうした分類法を覚えることよりも、丁寧さをこころがけながらも過剰表現にならないこと、また尊敬語や謙譲語を正しく用いることである。二重三重敬語はかえって耳障り
・「こちらがご希望の万年筆のほうになります」(中略)
「~のほう」は、対象となるものが一つの場合には適さない表現である。つまり、「~のほう」は、コートと傘を持っている人に「傘のほうをお預かりいたします」、と選択や比較するものがあるときに限定して指す場合に用いられる。
・「手紙」の礼儀(中略)
改まって書簡をしたためるさい、書状を一枚の紙で書き上げた場合は、「礼紙(らいし)」と呼ばれるもう一枚の白い紙を重ねて相手への敬意を表す(中略)現代と比べて、昔は紙は貴重だったので、白紙を重ねることは、礼の表れの一つだったのであろう。
・温かい印象の中で丁寧なことばを自然にかけられる男性は、表情にも温かみが表れている人である。
・「諌臣を持つ人、持たない人」(中略)
自分に都合の良いことばかりをいう部下ではなく、時には少々辛口のこともいってくれる部下を大切にすることこそ、人の上に立つ者として相応しいこころがけであった。
・自分の考えを貫き通そうとするのではなく、相手を尊重したうえで問題を解決するためには、こころをかたむけて話を聞き、現状を把握しなければ対応できるわけがない。それこそが、部下に対する思いやりともいえよう。
・相手の長所を見つけるためのポイントとして、「観察」ということばを改めて考えてみたいと思う。(中略)相手のこころ深くまで観て、思いを察することが「観察」なのだ。この「観察」なくして相手を褒めることはできない。
・水は方円の器に随う(したがう)こころなり(中略)
自己を受け入れ、他を受け入れるゆとりを持ち、向上心を忘れないように努めることが大切なのだと思う。水のように振る舞うことなのできる男性は、こころ穏やかな強い人なのである。
・人の第一印象は「身だしなみ」「基本動作」「ことば遣い」で決定するという
・昔は白が喪服だった時代があり、格の高い色でもあったという。現代でも、喪服として白の着物を着る地域が残っているらしい。その理由は、白が洗浄を表し、神事や婚礼などにも白の衣服を着るように、着衣の色して最も格の高い色、という考えがあるからだ。
・「無心」------自分の欲にかたよらず、こころを磨く
・牡丹の花ことばは「王者の風格」、「高貴」、「富貴」などである。
●書籍『誰も教えてくれない 男の礼儀作法』より
小笠原敬承斎 著
光文社 (2010年10月初版)
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