丹羽 宇一郎 氏 書籍『死ぬほど読書』(幻冬舎 刊)より
このウェブサイトにおけるページは、書籍『死ぬほど読書』(丹羽 宇一郎 著、幻冬舎 刊)を読んで良かったこと、共感したこと、気づいたこと、こんな視点もあるといった点などを取り上げ紹介しています。
・新聞に載っていた読者のある投書を見て、驚きました。それは21歳の男子大学生による「読書はしないといけないものなのか?」ということを問うた内容のものでした。(中略)
「自分の頭で考える力」が衰えていることが大きく影響しているのではないでしょうか。(中略)与えられたもののなかばかりで生きていると、「自分の頭で考える」ということができなくなります。
自立した思考ができないから、たまたま与えられた狭い世界のなかだけで解決してしまう。
・出鱈目(でたらめ)な嘘のニュースや情報で、世界が動く。こうしたことが今後インターネットにとって、大きな障害になってくる可能性があります。
・誰が発信しているのかは、とても重要なことです。たとえば、「中国筋によれば~」といういい方だけでは信頼性に欠けます。中国政府の誰がしゃべったのか、33の行政区にうちどこに区が発したのか。といったことが問われるわけです。
・筒井雄一郎さん(中略)が、「一切隠し事はするな。すべて会社に報告しろ。お前がクビになるなら俺が先にクビになる」と、むしろ励ますかのようにいってくれたのです。
・どんなに多くの人に支持された権威ある新聞でも、そこに書かれている記事が信用できるものとは限らないということです。記者がどういうプロセスを経て情報を取ってきたのか、読者にはわかりません。
・ネットを中心に夥しい(おびただしい)数の情報が溢れている時代にあってはなおさら、接する情報を一度は疑ってみる必要があります。そのためにも日ごろから、常識的判断や情報リテラシーは磨いていくべきだと思います。
・ネットで検索すれば、簡単に知ることはできます。しかし、そこで得られるのは単なる情報にすぎません。細切れの断片的な情報をいくらたくさん持っていても、それは知識とは呼べません。
・「どういう本がおすすめですか?」といったことをたまに聞かれます。そんなとき私はこう答えるようにしています。「あなたが面白そうだと思うものを読みなさい」(中略)
立場によって、考え方や感じ方によって、これはいい本だとか必読すべき本だといった価値観は変わるもです。人がいくらいいといっても、関心のないものは一生懸命に読んでも頭に入らない。蒙(もう)を拓く(ひらく)内容だといわれても、基礎知識がなければ理解できない。
・同じ本でも年齢や時代によって、受ける印象はまったく違うものです。そこで「55年前と同じような感動と感激があったら、俺はアホだ」と思いました。もしそうなら、ほとんど成長していないことになるからです。
・関心があるということは、「学びたい」気持ちがあるということです。ですから、傍から見れば雑草のような本でも、興味があればどんどん読んでいけばいいのです。そんな姿勢がある限り、必ず何かを得られるはずです。
・自分が経験できないようなことを、読書を通じて体験する。それによっていろいろな人の立場に立って物事を見たり、考えたりできるわけです。そうすることで自分の視野や思考の範囲がぐんと広がり、想像力が鍛えられます。
・りっぱな本がたくさん並んでいる書斎を見せることで、私はこういうレベルの人間です、ということを秘かにアピールしているのでしょう。これは、いうまでもなく虚栄心の一種です。
・ハウツー本に人気があるのは、最近の人は何にでも答えらしきものをすぐに求めたがる傾向が強くなっているからだと思います。(中略)基本的に読書は即効性ばかりを求めてするものではないと思います。
・考える力の低下には、ネットの影響も多分にあるでしょう。ネットに溢れる情報やツイッターのようなSNSをしょっちゅう目にしていれば、情報を受け身で得る習慣ばかりがつき、それらの中身や質を問うようなことはしなくなると思います。
・論理的に考える力をつけるには、読書はこの上なく効果的です。
・心に栄養が足りないと、人のなかにある「動物の血」が騒ぎ出します。ねたみ、やっかみ、憎しみ、怒り、利己心、自暴自棄、暴力的な衝動など、まるでジャングルの獣のごとく次々と表出する動物の血は、負の連鎖を生み出します。
・純粋に好奇心から手にとったり、面白そうだから読む。その結果、想像力が豊かになったり、感性が磨かれたりする。効用は先に求めるものではなく、あくまでも結果としてついてくるものです。
・経過も大事です。そもそも経過を大事にしなければ、本当にいい結果は出せません。
・読書は著者との対話ですから、それを習慣化している人は、じつにさまざまな人と日々出会っていることになります。
・本は人から強制されて読むものではありません。関心のあるものを自ら選んで読まなくては、中身が頭に入ってこないでしょうし、本を読む楽しさもわからないはずです。
・私の実家は本屋ですが、その屋号は「正しく進む」と書いて「正進堂」といいます。
・問題があるということは、懸命に生きている証です。
・とくに多く本を読んできた人は、先人たちの知識や経験からいろいろ学ぶことによって、突破口を開く気づきや心の強さを得られると思います。
・宮大工の西岡常一氏(中略)
「気に入らんから使わん、というわけにはいかんのです。自分の気に入るものだけで造るんでは、木の癖を見抜いてその癖を生かせという口伝に反しますやろ。癖はいかんものだというのは間違っていますのや。それをやめさせ、あるいは取り除いていたら、いいもんはできんのです」
この知恵こそ、1300年以上の間、法隆寺が建て続けている秘密を解く鍵の一つなのですが、それは組織における人の育て方にも深く通じるものがあります。
・欠点のように見える癖がある人材でも、その癖を生かすようにうまく活用すれば、かえって面白い仕事をするようになる。そういう人材活用ができれば、エリートばかりの組織よりも、組織は多様性に富み、しなやかで強くなります。
・一人イコール、孤独ではありません。一人で何かをしていても、それはあくまで「一人でやっている」ということにすぎません。それ以上でも、それ以下でもありません。
・壁にぶつかったときこそ、その人の器がどれくらいの大きさかよくわかります。ふだんは威勢のいいことばかりいっているけど、実際は小さな人間なんだとか、自分ことばかり考えているエゴイストだなとか
・余裕のある人なら、壁にぶつかっている自分の姿を客観的に見られるでしょうし、何が問題になっているのか、その原因は何なのかをとらえることができる。そして、本を読んで得てきたことが、ふと生きてきたりするわけです。
・幅広くいろいろな本を日ごろから読み、仕事と真剣に向き合っている人は、自分の考えや信念を持っているから、安易に空気に流されるようなことはないはずです。読書は心を自由にしてくれます。読書によって自分の考えが練られ、軸ができれば、空気を中心に思考したり、行動したりすることはなくなるはずです。世間の常識や空気に囚われない、真の自由を読書はもたらすのです。
●書籍『死ぬほど読書』より
丹羽 宇一郎 著
幻冬舎 (2017年7月初版)
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