大野 晋 氏 書籍『日本語の文法を考える』(岩波書店 刊)より
このウェブサイトにおけるページは、書籍『日本語の文法を考える』(大野 晋 著、岩波書店 刊)を読んで良かったこと、共感したこと、気づいたこと、こんな視点もあるといった点などを取り上げ紹介しています。
・文法とは、いろいろな言語上の現象を整理して把握し、理解しようとする仕事である。たとえば動詞の活用でいえば、「こ・き・く・くる・くれ・こ」とか「せ・し・す・する・すれ・せよ」とかの形に変化を整頓する。
・現代の英語やドイツ語ならば、主語と述語を応じ合うように表現することが文を成り立たせるもっとも根本的な型である。それに対して、日本人は相手に対する心づかいを重要とする。文脈上、相手の知っていそうなことは省略していわないということもその一つの現れである。
・日本語の文のもっとも基本的な条件は、(1)すでに知っていること(既知)と、(2)知らないこと(未知)というこの二つを要素として文を組み立てるところにあるのではないか。それが日本語の構文の基本のようだと私は見ている
・つまり、本来、「へ」は現在地から遠くへの移動を表すものだった。「に」は静止する一点を指示するのが基本だった。この基本を理解すれば「東京に行く」とは、東京に着くように行くんだという意味合いで使うことが分る。一方の「へ」は「東京の方へ(遠ざかって)行く」ときに使ったことが分る。
・ 「ふとい」「しろい」「ほそい」「あかい」「ひろい」という表現は、ものの性質や状態を時間による変化とは関係なしにとらえた表現である。それにくらべて、「ふとる」「しろむ」「あかるむ」「ほそる」「よわる」という言葉は、ものの状態を、時間の場において生気し、進行し、継続してゆくという面からとらえたものである。つまり形容詞と動詞との相違は、事態を時間の面にかかわらないでとらえるか、かかわってとらえるかにある。
・ 動詞は、動作・状態・作用が時間という場で進行し、持続し、生起しているという判断を表現する点で、名詞と相違している。名詞は、動作や状態や作用を指しても、それ自身を一つのもの、またはこととして固定させ、対象として取り扱う。形容詞や形容動詞は、ある性質や状態にあると話し手が時間に関係なくとらえ、判断を下す表現である。これらは活用を持つ点では動詞と共通だが、動詞は動作・作用・状態を、時間の場で、生起・進行する変化の相においても把握するものである。
・一つの物事が可能になると、「できるようになった」という。デキるの古形はデクルであり、「出来る(いでくる)」ということ。「出て来る」ということである。「出て来る」とは形をなして自然に現われ出てくることである。
・日本人が文字を持ったのはようやく奈良時代頃からにすぎない。それ以前は文字を全然持たなかったにもかかわらず、日本語は話され、聞かれ、その役を果たしていた。従って言語の媒体となったのは音声だけであった。
●書籍『日本語の文法を考える』より
大野 晋 (著)
出版社: 岩波書店 (1978年7月初版)
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