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横田 増生 氏 書籍『ユニクロ帝国の光と影』(文藝春秋 刊)より

このウェブサイトにおけるページは、書籍『ユニクロ帝国の光と影』(横田 増生 著、文藝春秋 刊)を読んで良かったこと、共感したこと、気づいたこと、こんな視点もあるといった点などを取り上げ紹介しています。


・父親が一九四九年にファーストリテリングの前身である小郡商事を宇部市で創業、大学を卒業した柳井が小郡商事に入社、ユニクロの一号店を出店した八四年に柳井が社長に就任


・分業体制をとると効率が悪く、利益も上がらないとしたGAPは、原料調達から製造機能、小売り機能まではGAP一社が一気通貫で持つというビジネス・モデルに舵を切ることで、九〇年代においてアメリカでカジュアル衣料のトップの座に上り詰めた。


・デルは製造業出身であり、ユニクロは小売業出身であるという違いはある。しかし、商品の川上から川下までを一社でコントロールすることで、経営の効率化を図ると同時に利益を高めようとする点においては、両社は同じである。


・「成功」は、そう呼ばれた瞬間から陳腐化していくものである


・アパレル業界紙の記者はこう話す。(中略)

柳井さんは、外からユニクロに入ってきた人を、一度は落として、そこから這い上がってくるのを待っているところがある


・柳井の身近で働いた人物はこういう。

「柳井さんには、自分の中にあるコンプレックスというか、こんちくしょうみたいな感情をバネにしてビジネスに取り組んできたところがあるように見えました。


・同社のアルバイトに配る社外秘の「スタッフ新人ハンドブック」には、女性のイラスト入りでこうある。(中略)

「手を組むときは右手を下にする」(中略)

つまりユニクロの店員が手を組むときは、右手を下にしなければならず、左手が下だと基本姿勢に反するのだ。


・会社を辞める際、三年間はユニクロの業務について何もしゃべらないという守秘義務契約を結んで辞めるのだという。


・宇部の一介の小売り業者にすぎなかったユニクロが、大きく飛躍したのは、製造から小売りまでを一気通貫で持つSPAへと、九〇年代に変貌をとげたからだった


・ ABC改革の要諦は「作った商品をいかに売るかではなく、売れる商品をいかに早く特定し、作るかの作業に焦点を合わせる」ことにあった。


・柳井が早稲田大学を卒業し、ジャスコで短期間の修行を経て、ファーストリテイリングの前身である小郡商事に入社したのは一九七二年のこと。柳井が二三歳の時だった。


・ユニクロ一号店(中略)

「一〇代の子供たち向けに流行に合った低価格のカジュアルウエアを、セルフサービスで提供できないだろうか」と考えて、「週刊誌みたいに(気軽に)カジュアルウエアを買える店」として、商品は一〇〇〇円と一九〇〇円を中心にそろえた。


・「ユニクロの商品を、いずれ『カジュアルウエアのスタンダード』といえるようにしたい。それを実践するための行動指針を表した社名である。直訳すると『早い小売』となり、『お客様を要望をすばやくキャッチし、それを商品化し、店頭ですぐに販売する』ことを意味する」


・柳井は、委託販売制度は次の三つの理由で不合理だと批判してきた。

一つは、小売りにとって売れ残りのリスクはなくなるが、その分利益も低く抑えられること。二つ目は、流通の各段階で発生しているムダや非効率は、最終的には商品価格に上乗せされており、消費者が高い買い物をする可能性があること。三つ目は、商品企画がメーカーや卸主導となり、小売りの店舗での品揃えに一貫性がなくなり、しかも自由な価格設定ができず小売りの手足を縛ること。


・アパレルにおいては原材料を制するものが小売りを制する


・柳井からは、「いい原材料を探すためには金に糸目はつけないから、地球の裏側まで行ってくるように」という指令が出ている。


・ユニクロと東レが共同で開発した代表作は〈ヒートテック〉であり、その他にも機能性Tシャツ〈シルキードライ〉や軽量ダウンジャケット〈ウルトラライトダウン〉などがある。


・なぜアパレルからの転職組みよりも異業種からの人材を歓迎するのか。

柳井は自著でこう話している。

「異業種の人のほうが、この業界の常識にとらわれずに、『なぜだろう』『どうしてだろう』と原理原則から取り込むことができるからだ。同業種だと、『こうなっているのが当たり前』と見なして、無理・無駄の存在する現状を肯定しながら進もうとする。改革には現場否定が欠かせない。わが社には自分で本当に考え、判断できる人、さらに言えば『働かされる人』ではなく、『経営できる人』が必要なのだ」


・買い取りで仕入れることに関して千田はこう言う。(中略)

「(中略)委託にすると、値づけにしても、店作りにしても、メーカーや卸のペースで仕事をしないといけなくなることを叔父貴は大変嫌いました。自分たちが主導権を握って商売をやるように、と言われていました」


・父親・等は、柳井正が小郡商事に入社すると間をおかずに、その経営の実権をすべて委ね、一切口を出さないことで、息子の成功を引き出した。しかしそのDNAが柳井正に引き継がれることはなかった。


・現役の店長は「六〇〇万円から七〇〇万円です」という。※年収のこと


・日本国内には現在、ユニクロの直営店が約八〇〇店舗あり、フランチャイズ店は二〇店舗あることがわかる。

功績のあった店長に“のれん分け”としてフランチャイズ店を任せるようになったのは、九八年のABC改革以降のことであり、その時点から数えると八人がフランチャイズ店のオーナーとなっている。七九四人の店長のうち、スーパースター店長が一一人で、それとは別にフランチャイズ店のオーナーが八人という割合である。


・店舗には、店長マニュアル、(店長)代行マニュアル、(アルバイトたちの)作業マニュアルという“三大マニュアル”があって、その他にもいろんなマニュアルがあります。マニュアルは、こうやりなさいという大枠の指示などではなく、必ずこうしなければならないという命令でした。


・ユニクロと欧米企業とでは仕入れ価格の決め方が大きく異なる。ユニクロの場合、日本の消費者はこの商品には、この値段までしか払わない、とか、この値段より安く売りたい、というところから始まる。


・ユニクロとの取引の魅力は、一〇〇%買い取りで、しかも発注量が多く安定しているところにあるのは事実だ。しかしそれ以上に、一度決めた取引条件が変わらないことが大きい。ユニクロの取引は、トップである柳井さんの性格を反映して、公平で、誠実なものだ。


・ZARAもユニクロも企画・製造から販売まで一社でコントロールするSPA企業でありながら、両社のビジネスは次の三つの点で大きく異なる。

一つは、ユニクロに比べるとZARAは価格設定が上であるという点であり、もう一つは、商品開発のスピードである。ユニクロが商品開発から店舗に並べまでに平均して一年かかるのに対して、ZARAは最短で同じ工程を二週間で行うことができる。三つ目は、ZARAは少量多品種の品揃えをしている。ユニクロが年間で一〇〇〇品番の商品を作るのに対して、ZARAは一万を超える品番を作る。


・ワンマン経営=人材手足論は、上手くいってるときには最大の効果を発揮するが、時間がたつと必ずつけがまわってくる。経営もマンネリ化したら終りだ。一人の人間が全部決めてやるということは、マンネリ化する時期が早まると言うことを意味する


・企業には安定ってことはないんですよ。企業は安定しないもの。放っておいたら潰れるもの、衰退するもの、そういう風に思っているんです


・僕には内向的なところがあるんです。でも商売人で、あまり外交的な人は、向いていないんじゃないかと思うんです。商売をするというのは孤独な作業で、それに耐えられるようでないといけない。自分で考えて、自分で行動するという性格じゃないと、たぶん商売には向いていないと思います


・柳井さんにとってビジネスに対する動機づけとは何でしょうか。

「ビジネスにおいては、辛いことイコール正しいことなんです。でも見方によったら、ビジネスほど面白いものはないよね。ビジネスって、毎日、成績表をもらうのと同じでしょう。売り上げとか利益とかいう数字の成績表が毎日出てくる。自分たちでお客さまにいい商品を提供して、喜んでもらって、しかも儲かる。こんないい仕事はないと思います」


●書籍『ユニクロ帝国の光と影』より
横田 増生 (著)
出版社: 文藝春秋 (2011年3月初版)
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