小室 哲哉 氏 書籍『罪と音楽』(幻冬舎 刊)より
このウェブサイトにおけるページは、書籍『罪と音楽』(小室 哲哉 著、幻冬舎 刊)を読んで良かったこと、共感したこと、気づいたこと、こんな視点もあるといった点などを取り上げ紹介しています。
・手錠をかけられた。そのカチンという硬い音は、本当は小さく短かったはずなのに、部屋の天井や壁に反響して聞こえた。そして、金属の冷たさがじんわりと手首にしみこんできた。まったく重くもないし、締めつけられるようなこともない。儀式めいたものだとはわかっていても、しばらく立ち上がることさえできないほどの脱力感におそわれた。
・拘置所(中略)
すべての自由を奪われ、鉄格子の中にいる。音楽に触れると、その事実を痛烈に感じてしまうのだ。大好きな音楽が、僕に絶望を与える。それでお願いをして、どうにか部屋の放送を止めてもらった。
・ヒット曲が出たとたん、批判や反感の手紙が倍増した。名前が売れれば売れるほど、「生理的に嫌い」だと、一方的にののしられることも増えた。あのときの衝撃はいまだに忘れられない。
・そんな逆風に負けないための特効薬はどこにもない。唯一の方法は、自分や自分の作品を信じ、それを強さに変えるしかない。
・知人の中には、魚介類が食べられない僕を心配する声もあったという。わがままを言っている場合ではないのはわかっていても、ある種のアレルギーだから、どうしようもない。なかでもエビは、形も味も、それこそ生理的に受けつけない。色も匂いも無理だ。間違えて口に入れてしまうと、ジンマシンという形で体が拒否反応を示す。
・音楽に携わることもできない生活、そして音楽を作ることのできない日々が、こんなにも苦痛だとは想像もしていなかった。だから、テレビの音楽番組も無意識のうちに避けていた。
・いい曲+企画=ヒット
・デビュー
83年当時は、大手レコード会社に認めてもらう以外、デビューの道はなかった。僕は、2曲を録音したカセットテープを、合計20社以上のレコード会社や音楽事務所に郵送した。ただし、そのカセットには《TM NETWORK「1974」「パノラマジック」》としか書かなかった。
ありがちなメンバー構成も履歴書もない。顔写真もなし。僕の自宅の電話番号を書いたメモを同封しただけ。匿名性により、興味を持ってくれる演出だ。そして、余計な情報をすべてカットすることで、純粋に音楽だけで評価してもらうための戦略だ。
・「いい曲」とは何かを考えた。さらに、いい曲は当たり前であって、そこにもうひとつ、特徴なり個性なり、あるいは話題性が必要だとも考えた。そのプラス αを、僕らは「企画」と呼んだ。「いい曲」と「企画」の両方がヒットの最低条件なのは、今も同じだ。
・空席理論(中略)
デビューするため、あるいはヒットを狙うためには、空いている席を探すのが大事だという発想である。
・同じCDでも製造工場によって、商品の音が違うのをご存知の方は少ないだろう。
・93年、TRFがデビュー。
94年、TMNを終了(解散)。
いつも何かが始まると、何かが終わる。
何かが終わると、何かが始まる。
・「こんな栄華が際限なく続くわけがない」
盛者心衰。諸行無常。いつか波は去り、凪が来るのは摂理だ。それもまた誰にも止められやしない。
有頂天になっているようでも、僕の中ではカウント・ダウンが始まっていた。青春時代から自分のすべてを費やしてきた音楽から、身を引く潮時がやってくるのか、それはいつなのだろうか? と。
・アメリカという自由の国にいても、誰かに見張られているような、あるいは軟禁されているような、息苦しさが常につきまとう。
そのうちどどこからともなく声がした。
「もうしばらく続けていれば、お前が辞めたいなんて言わなくても、飽きられて投げ出されるさ」
耳を澄ますと、その声は自分の中から聞こえてきた。
・「できる限り、直感的、反射的に伝わるよう心がけること」
これはポップスを作るときに不可欠なキーワードだ。しかし、限度を越えてしまうと、高度や高尚な展開のメロディは不要になっていく。それは成熟と逆行する流れだ。
「わかりやすくする」「シンプルにする」が、本来の意味から乖離して、「音楽のレベルを落とす」「音楽を単純にする」と同義語になってしまう。
・ケータイ小説ブームの10年以上前から、歌詞における意味やレトリックをどこまで排除できるか、どこまで排除しても成立するか、実験してみたことがある。その一例が93年のTRF「EZ DO DANCE」だ。(中略)
英語としては間違いどころか、ほぼ意味不明だ。和製英語すらなっていない。
しかし、日本人には、伝わってしまう。
「EZ=easy=気楽に」
「DO=行動」
「DANCE=踊る」
を組み合わせると…… 、
「さぁ、気楽に踊ろうぜ」
というニュアンスが感じられる。
・ 90年代末からは、「わかりやすさ」と同時に、もうひとつの悩みの種を、僕は抱えていた。携帯電話による、着メロや着うたの配信事情だ。
・全米制覇を果たした日本の歌曲があるのをご存知だろうか。「スーパーマリオブラザーズ」のテーマ曲だ。アーティスト名を見ると、(中略)近藤浩治さんである。(中略)
その近藤浩治さんは任天堂の社員だそうだ。
・デビューしてからも、常に音楽家であることがアイデンティティだった。裏を返せば、「音楽をやっていない僕は誰も必要としてくれない」というコンプレックスでもあっただろう。自分は音楽を作ることで存在価値が得られる、ヒット曲を作るものとしてのみ求められるという思いは、年々、日々強まっていった。
しかし、人間・小室哲哉を求めてくれたのが桂子だった。
・麻痺した金銭感覚(中略)
僕の贅沢ぶりも列挙されていく。世界限定ベンツを3億円で購入したことも、その一つだ。「限定車だから売るときは倍以上の値段になるから、投資目的で買いましょう」と耳打ちしたスタッフがいたのも言い訳にはならない。(中略)
ロスに6億円以上、ハワイのオアフ島に1億円以上、バリ島に約2億円の住宅を買ったことも明かされた。
・今回の事件で知ったが、僕ら作詞家や作曲家が持っているのは、作品の権利そのものではないらしい。小説などの場合は、著者が作品の全権利を持つが、音楽は複雑だ。
作者が持っているのは、「著作権使用料分配金請求権」というものだそうだ。徴収した著作権使用料の分配金を受け取る窓口権みたいなものらしい。
なのに、僕は権利そのものを自分が持っていると思っていた。だから、自分の意思で右から左へ動かせると信じてしまっていたのだ。
・僕の慢心と甘さが引き起こしてしまった(中略)
被害者の方に「詐欺罪での告訴」を通達され、僕はパニックに陥った。冷静さを欠いたまま、当時の弁護士の「こちらからも訴えて、裁判を起こし、事態を止めましょう」というアドバイスに従ってしまったのだ。当然、被害者の方は怒り、円満解決への道は完全に消えた。
被害者の方には、本当に申し訳ないことをしてしまった。心からお詫びしたい。一度ならず何度も裏切ってしまったのだから。今もテレビのニュースなどで裁判所が映ると、被害者の方の姿を思い出す。そして、心の中でくりかえし謝罪している。
・法定の証言台に立つ前、「嘘は言わない」と宣誓する。しかも、法廷での嘘は、偽証罪という罪に問われる。
・証人への質問は2種類あるようだ。「現象」を問うものと、「情」を問うものと。どちらも「事実」という括りに入るにしても、僕には「数字」と「文学」くらい質が異なるように聞こえていた。
・ヒット曲を作るとき、僕は「半歩先」が大事だと思ってやってきた。
・マイケル・ジャクソンとの思い出(中略)
1枚の紙を渡された。見ると、簡単な誓約書だ。
「Weloce to Neverland」(中略)
「しかし、一旦ここを出たら、ここで見聞きしたすべては夢であったことを証明します」
その下にサインを求められた。
つまり、帰ってから何をどう喋ってもいいが、そのすべては夢の中の出来事だと合意した上で、敷地内に入る仕組みになっているのだ。サインしなかったら、入場できなかったと思う。僕は夢の国に足を踏み入れた。
・正直、僕に限らず、音楽家であるなら、桜ソングには、もうそろそろ抵抗感が出てきていると思う。
しかし、だ。
「小室さん、次は『桜』で1曲お願いします」
そう言われたら、迷うことなく、僕は引き受ける。
「もう飽和でしょ」「まだやるのか」と思っているアーティストやバンドが頭を捻り、知恵を絞るから、ヒット曲が生まれると、信じているからだ。逆にいうと、何の疑問も持たず、自ら好き好んでまだ桜を歌っている人たちに、ヒットは望めない。
・桜の一文字、またはサクラの響きから、「春」「卒業」「別れ」「旅立ち」「入学」「出会い」「はかなさ」「散る」などを、僕らは無意識のうちに連想してしまう。日本情緒だろうか。日本で生まれ育った人たちの共通理解というべきだろうか。
その作用が働くと、歌詞で語らなくても得られる情感がある。つまり、日本語の伝達速度の鈍さを補うことができるというわけだ。桜を有効利用するためには、そこを見逃してはならない。
「桜」以外でも、曲名に「かもめ」「夕陽」「ヨコハマ」「ブルース」などを使っても、同じ効果が期待できる。
・「WOW WAR TONIGHT」の秘密
歌うと、「WOW WAR」も「WOW WOW」も、ほぼ一緒だけど、カラオケボックスのモニターには文字が出る。そこでWARという単語が特別な力を発揮すると考えた。「逃げたくなる毎日でも負けるな、戦え」というメッセージを代弁してくれるはずだ、と。
・僕なりの「カラオケで受ける曲の三要素」がある。それは、「発散」「社交」「エクササイズ」だ。
・自分が歌わないからこそかけた歌詞やメロディーもある。(中略)
僕の場合、そのほとんどが女性歌手への詩という点が特徴だろう。(中略)
「女性になりきって作詞するんですか」
「女性の気持ちをリサーチするんですか」
そういう質問を何回もされた。(中略)
先の質問への答えは、「自分の理想とする女性像を描いていた気がする」だ。それは試行錯誤の末、探し当てた答えでもある。
●書籍『罪と音楽』より
小室 哲哉 (著)
出版社: 幻冬舎 (2009年9/月初版)
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