はづき 虹映 氏 書籍『神さまに愛されて超開運する 感動の神社参り』(光文社 刊)より
このウェブサイトにおけるページは、書籍『神さまに愛されて超開運する 感動の神社参り』(はづき 虹映 著、光文社 刊)を読んで良かったこと、共感したこと、気づいたこと、こんな視点もあるといった点などを取り上げ紹介しています。
・□お賽銭は小銭をポーンと高く放り投げて入れる
□お参りするときは、顔の前で手を合わせ、目をつぶる(中略)
□引いたおみくじは、神社の木に結んで帰る
□どうせ行くなら、有名で大きな神社に初詣に行く(中略)
ここに掲載したチェック項目はすべて、「残念な参拝法」に当たります。間違いではありませんが、こうした参拝法をしていては、残念ながら神さまと深くつながるつながることはできませんし、神社参りで得られるはずの「浄化・覚醒・開運」効果も、ほとんど期待できません。
・神社参りの「参る」とは、「間入る」が語源、神さまの「間」に「入る」ことが、「お参り・参拝」するということ。
・日本は無宗教の国ではなく「神道」の国
・「神道」とは、「かんながらの道」のこと。「かんながら」とは、「神さまのいうとおり」ということ。「神さまのおおせのとおり、人生という道を歩きます」というのが、「神道」の教えです。
・「教える」とは、「押し得る」が語源。教える側が教義を「押す」ことによって、信者から参拝や敬意、お布施を「得る」という、ギブ&テイクの関係で成り立っているのが、宗教です。
・「神道」は学ぶべき教義や経典、拝むべき偶像など、何もありません。「あなたが『神の道』だと思う道を、自分の足で歩きなさい」というのが、「神道」の基本スタンス。
だから、神社には何もありませんし、基本的にいつ、誰が来てもいい。入場料も徴収しないし、お布施を乞うこともない。何も教えないし、何も要求しない。すべて自己責任で自分の考えでやってくださいというスタイルです。
・日本人は日本語を左脳で処理するため、すべての音を表記できるという特徴もあります。それゆえ、雨の降る音、せみの鳴き声などの自然音を文字として表記できるのは、世界でも類のない、日本語の特徴のひとつです。
・いきなり、超メジャーな神社を目指さない。今、住んでいる場所の近くにある鎮守神社の神さまと仲良くなることから始めるのが、開運の秘訣としるべし。
・「産土(うぶすな)神社」は、その人が生まれた場所に応じて、振り分けれる戸籍担当のような神社。(中略)
生まれてから死ぬまで、ずっとあなたのことを見守ってくれているのが、「産土神社」の神さまなのです。(中略)
お母さんが妊娠中に、いちばん長く過ごした場所の近くの神社ということになります。
・神社参拝の真の目的は、「内なる神」と対話することにあるのです。あなたが、あなたの内側にいる「神」を見つけて、1対1で対話する。それを可能にするのが、神社という場のしくみなのです。
・神社の本殿に至る道を「参道」と言いますが、それはまさにお産の道である「産道」に通じます。ということは、鳥居は生まれ出る場所に当たる、女性自身。女陰に当たります。
・鳥居は、いわゆる俗世間である「この世」と、神域である「あの世」とを分ける「結界」の役割を担っており、まさに異次元とつながる「門・扉・シールド」であり、神社という聖域に至るための「玄関」「顔」だと言えます。
・参道とは、「産道」。赤ちゃんがこの世に生まれてくるときに必ず通る、初めての道。神社の参道は、この「お産の道」を表したもの。
・「砂利」=「邪離」。参道に砂利が敷かれているのは、砂利を踏みしめるときの「音霊」が、「邪(気)を離す」効果があるため。砂利を踏んで歩くときのザクザクという音は、リラックス効果のあるα破の脳波を引き出すと言われ、その音のチカラを活用して、日常で溜まった穢れを払うために、ワザと玉砂利が敷いてあるのです。
・「鏡(カガミ)」から、「我(ガ)」をとると、「神(カミ)」になります。これは「身に慿いた穢れを禊ぎ払って、自我が清められた自分自身こそ、神そのものである」ということです。
・神社でするのは「感謝」と「宣言」
・神社は、願い事を叶えてもらうために行く場所ではありません。(中略)そこでするのは、「感謝」と「宣言」。
「こうして生かされていることに感謝します。ありがとうございます」
「今日ここに、こうして参拝させていただけたことに、心から感謝します」(中略)
「願い事」ではなく、「宣言」です。本殿の鏡の前で、自分自身に対して「誓い」を立てるのです。「私は、○○します!」と、未来に向かって、自分がすべきことに対する「誓い」を立て、その「誓い」を声に出して高らかに「宣言」すること。それが、「感謝」の他に神前ですべき唯一のこと。
・お賽銭は、自分で自分の願いを叶えるための決意表明に伴う「覚悟料」。お賽銭の金額に、あなたの覚悟の度合いが表れていると知るべし。
・お賽銭を投げてはいけません!(中略)
お賽銭をこんなふうに扱っている限り、神さまから愛されたり、応援されることもありませんし、ましてやお金からも愛されることはないと断言できます。
・お賽銭箱の前には、「浄財」と書かれています。これは「あなたのもっているお金、財産、金運、財運を浄化してあげますよ」という意味です。
・お賽銭はポチ袋に入れて、すべらせるように入れること(中略)できれば新札を用意すること。新札は「穢れのない、まっさらのエネルギー」の象徴なので、お賽銭にはピッタリ。そして、お金を入れる袋の上書きは、「神恩感謝」と記し、その下か裏側には自分の住所、氏名を記しておきます。(中略)
予め準備しておいた袋入りのお賽銭をもって、神社参拝に出かけます。
・神社は、願い事をする場所ではありません。神社でするのは、「感謝と宣言」。それが「祈り」です。
・日常で「ありがとうございます」という祈り言葉を唱えず、神社に行って、自分の都合の良い「願い事」だけしているようでは当然、運気はひらけませんし、神さまに愛され、応援されることもありません。
・「祈り」は、「意・宣(い・のり)」。自分の意思、意識を神前で宣言することを「祈り」と言います。[私は、こうします!」と、神前で高らかに宣言するのが、「祈り」。
これに対して、「願い」は「根我意」。根っこに「自我(自分のことだけ、自分勝手な思い)」がある意思、意識のこと。
・「祈り」は自力であり、自己責任。「願い」は他力であり、他者依存です。「祈り」と「願い」。その「似て非なるもの」の、どちらの思いのほうを神社の神さまが応援したくなるかは、きっと誰でもわかるでしょう。
・合掌した手の指先を向けるのは、上ではなく、正面。本殿の奥にある鏡のほうがおすすめです。
・神前で合掌する手は、左右をピッタリそろえるのではなく、右手を少しズラして、左手のほうを第一関節分ぐらい前に出すことをおすすめします。(中略)
・神前での合掌は、神さまにエネルギーを届けると同時に、神さまからエネルギーを受け取るためのもの。それゆえに、神さまを敬い、称え、少しへりくだる気持ちこ込めて、少しだけ右手を引いた形をとることをおすすめします。
・神前で合掌するときの、手の向きに注目。指先は上ではなく、前へ。本殿の奥にある鏡に向けるべし。左手を少しだけ前へずらして合掌するのが、上級者の作法。
・出雲大社や宇佐神宮では今でも、「二礼四拍手一礼」の作法を採用している
・神前でのおじぎは、90度(中略)
90度おじぎをすることで、神さま側から見れば、相手の背中が丸見えになります。これが大事なポイント。いちばん邪気の憑きやすい背中を神さまに見せることで初めて、神さまから発せられる浄化のパワーが受け取れるのです。(中略)
90度頭を下げたまま、最低5秒ぐらい、待ちます。その間に、あなたの背中に憑いた邪気を神さまが払ってくれてると意識して……。そのとき、あなたの背中の上を風が吹き抜けてくれれば、それが浄化完了の合図です。
・最近の神社ブームで、参拝客も増加傾向。それ自体はとても喜ばしいことなのですが、中にはエネルギーをもらおうとするあまり、ご神木の巨木に触ったり、抱きついたり、磐座(いわくら)という巨石の上に登ったり、岩を削ったりする人もいるようです。(中略)
触れたくなる気持ちはわかりますが、その神聖な場所をベタベタと触ることで、神さまの依り代として機能しにくくなるので、控えたほうがいいでしょう。(中略)
30cm離れた辺りを、最も活発に流れています。ですから巨石や巨木からエネルギーチャージしたいのなら、直接触れるより、数cm~20、30cm離れた辺りに手をかざしたほうが、よりエネルギーがチャージができるのです。
・参道では基本、右側通行。真ん中は空け、できるだけ端を歩き、参道にある木(氣)のシャワーを浴び、玉砂利を踏みしめる「音霊」で、身の穢れを祓う。
・「絵馬」に書くのは、「願望」や「願い事」ではありません。たとえば、「結婚できますように」とか、「合格しますように」と書いてしまうと、「そうなっていない状態」が強く久しく残ります。その「絵馬」を書いた本人はもちろん、それを見た人も、「この人は結婚したいんだな(=まだ結婚していないんだろうな)」「合格したいんだな(=まだ合格していないんだな)」と認識するでしょう。
その「絵馬」が神社にぶら下げられている限り、そうした未完了の思いのエネルギーが、書いた本人のところに返ってくることになるのです。(中略)
「絵馬」に書くのは「宣言」ですから、「結婚します!」「合格します!」、或いは「結婚できました!」「合格しました!」です。それに「感謝」の言葉、「ありがとうございます」が添えられればバッチリです。
・「絵馬」に書く願望は、「完了形」で言い切ること。未来の夢を「予め、先に祝う」=「予祝」の手法を活用すれば、望む未来が引き寄せられる。
・「初詣」より、何倍も神さまに喜ばれる「年末のお礼参り」(中略)神さまに一年間のお礼と感謝、そしてきたるべき新しい祈願とご挨拶を一度に済ませてしまうのです。はっきり言って、この「年末のお礼参り」の効果は絶大です。
・日本には、8万社を超える神社があると言われています。(中略)コンビニの数は約5万軒。コンビニよりも、神社の数の方がはるかに多いというのが、日本という国なのです。
・神社にある「鎮守の森」を、自然林だと思っている方も多いようですが、ほとんどは人の手で植えられたもの。ちゃんと人の手が入って整えられ、掃除が行き届いているからこそ、いつも変わらぬ清浄な空気感が保たれているのです。
・神社の「格」は、「掃除」で決まります。
・その場の穢れを一瞬で浄化する「拍手の作法」
・まず大事なことは、「なんとなくイヤだな」と感じた場所には、近寄らないことがいちばんです。
・その場の穢れを一瞬で浄化する「拍手の作法」(中略)
邪気払いのための拍手は、できるだけ大きく、いい音を鳴らす必要があります。そのためには左右の手をぴったりと合わせるのではなく、右手を少し手前にズラし、左手の位置はそのまま。右手だけを動かして左手の平を叩くようにすると、いい音が出るようになります。
このやり方で、部屋の四隅に向かってそれぞれ5回ずつくらい拍手を勢いよく叩くと、場に憑いていた穢れや邪気が一瞬でとれるので、おすすめです。
・場の穢れ、邪気を払うには、拍手を打つことが効果的。いい音を鳴らすためのちょっとしたコツを覚えておくだけで、浄化作用が高まり、さらに神さまとつながりやすくなる。
・「こういうものだから、こうしなさい」とアタマごなしに、手法やノウハウだけを伝えても、人は動きません。「なぜ、そうなっているのか」「なぜ、そうするのか」という理由がはっきりすれば、誰もが納得して動けるでしょうし、第三者に対して……、(中略)堂々と答えられるようになるのではないかと思うのです。
●書籍『神さまに愛されて超開運する 感動の神社参り』より
はづき 虹映 (著)
出版社: 光文社 (2019年12月初版)
※amazonで詳細を見る