斎名 智子 氏 書籍『ほんとうは、なくてもいいもの』(サンマーク出版 刊)より
このウェブサイトのページは、書籍『ほんとうは、なくてもいいもの』(斎名 智子 著、サンマーク出版 刊)を読んで良かったこと、共感したこと、気づいたこと、こんな視点もあるといった点などを取り上げ紹介しています。
・「ほんとうは、なくてもいいもの」を手放していただき、「これだけは、だいじにしたいもの」をよりだいじにしていくいただくだけで、間違いなく人生は輝きを増すとわたしは信じているからです。
・「助ける」ことは一見、愛情のようで、相手の学びの可能性を奪うことがあるし、それこそ承認欲求のためにやっていることってあるよなあと感じることがあるからです。
・「力になる」とは、その人の可能性を信じているということ(中略)
では、どうすれば人の力になれるでしょうか。それには、何よりも先に自分を満たすことがいちばん大事だと思います。
見るからに傷だらけで血だらけの人に「力になります!」と言われても「いえいえ。結構です」となりますよね。
・ほんとうはこの世界には、正しさも間違いもありません。存在するのはただの個々人の捉え方、価値観です。自分が採用している考え方が「正しい」と感じているだけです。(中略)
例えば、日本だと愛おしい相手の頭をポンポンとする行為があります。しかしこれ、タイやインドネシアでは、マナー違反。
一部の地域では、頭の上は神聖な場所とされています。そこを触るということは、「神聖な場所を汚れたもので触る」ということなのであまり良くないのです。
・孤独を知らない人は、人と繋がる大切さを知りません。孤独を知らない人は、自分さえ存在していればいいので他人を愛せません。孤独こそ、愛の原動力なのです!
・孤独な気持ちがあるから人は「繋がりたい」と思うし、人を愛することができるのです。
・人と仲良くなる最初の一歩は、「弱みを見せること」(中略)
「弱い自分」をさらけ出せるのは、自分も相手も許しているからこそです。もちろんその時、相手の弱さも受け入れられるはず。
・「嫉妬」とは、別の言い方をすると「憧れ」にも似ています。ところが嫉妬が憧れと圧倒的に違うのは、「手が届きそう」に思えるところです。(中略)
そうなんです。自分もなれそうだから、嫉妬という感情は湧くのです。手を伸ばせば届きそうだから、嫉妬という感情は生まれると言うわけです。だからこそ、嫉妬が芽生えたら、そこに「新しい自分」の種が眠っているということになります。
・手が届きそうだから、嫉妬する。つまり、嫉妬には新しい自分になれる種が隠れているのです。
・もしも不安が現れたら、「わたしは今、不安なんだなあ」と、“不安なわたし“を少し高台に登って見つめてあげる。そうやって上手に何もしないでいられたら、それがやがて消えていくのを知ることができます。
・あなたがコンプレックスと思っているものを、「そこが素敵なのに」と言ってくれる人が必ずいるからです。
例えば、たれ目がコンプレックスと言う人を、「そこが優しそうで好き」と見ている人は必ずいます。ぶっきらぼうなことがコンプレックスと言う人のことも、「それが誠実そうで素敵だ」と見ている人もいるでしょう。
・しかしあるときから、コンプレックスと思ってる部分を、「自分だけのチャーミングな部分」と受け入れようと決意。(中略)
「自分でできるようになるのは、諦める」というのも、ひとつの手です。というのも、わたしの場合、数字については、自分で考えるのをキッパリやめて、アウトソーシング。そういう人に任せるようにしています(笑)。
・「きちんとしないと!」
「ちゃんとしないと!」
そうやって必要以上に肩ひじ張って頑張ると、相手にもそれを強いることになる(中略)
「きちんとすること」で壁を作ってしまうことだってあります。
・人間関係を築いていく中で、唯一大切にしている「マナー」は、相手を敬うこと。それはつまり、目の前の人への思いやりとリスペクトを忘れないないことです。
※リスペクトとは、尊敬,敬意のこと。
・もしも正しさを押し付けられたら、キャッチャーのようにただただ、ぱしっと受け止めるのもひとつの手です。
・ほんとうの優しさとは、世話をやくことではなく寄り添うこと(中略)
世話をやくことではなく、相手が感じていることを、ただ見守る。そんなニュアンスです。(中略)
「世話をやく」は、相手を自分の思うように変えようとする行為。つまり、「こうしろ」「ああしろ」とコントロールしようとすることです。
一方、「見守る」とは、相手を力を信じ、どうしても必要なとき以外は、とにかく肯定も否定もせず、そばにいるだけ。もちろん相手を変えようとはしません。
要は、相手のありのままを認める。それがわたしの思う優しさです。
・怒りによる相手の説得はただの支配にしかならない
・そもそも人は強制されて反省することはあり得ないと考えています。つまり、反省は他人が「させる」ことはできないのです。自発的にしか反省は「起きてこない」ものなのです。
しかも怒られている側は、怖いという感情に囚われてしまうか、逆に怒りを発動させるかのどちらかなので、ほんとうに伝えたかったことは1ミリも伝わらないという誰もハッピーにならない結末を迎えてしまうのです……。
・誰にでも自分の中に秘めておきたいことがあるし、それをわざわざ人に言う人はありません。
・「離婚」と「幸せ」には、なんの相互関係もないのです。あるとすれば、自分の中に「離婚=悪」という思い込みがあるだけのことなのではないでしょうか。
少し冷たい言い方になってしまうかもしれませんが、そもそも結婚はただの「契約」です。(中略)
違う価値観や考え方があるふたりが、お互い腹をわって、ダメなところも見せ合って、長い時間をかけて修正しながら一緒に歩いていくという学びです。
離婚する夫婦はそこでの学びが終わったということだと思います。
・「離婚」と「幸せ」には、なんの相互関係もありません。幸せになる結婚があれば、幸せになる離婚だってあるのです。
・多くの大人が子供に接するとき、「この子は子供だから」という態度や言葉遣いをするそうです。それは子供からすると「この人は自分のことを対等に見ていないんだ」と受け取ると思います。
・ハートをオープンにするとは、他人に心を開くことのように思えるかもしれませんが、実は「自分を許す」ことでもあるからです。
惨めな自分。
悲しい自分。
痛々しい自分。
恥ずかしい自分。
それらの自分を許してこそ、人はようやく周囲にハートをオープンにできるようになるのです。(中略)
自分の弱さを自分が認めて、自分が見てあげる。それだけでいいのです。
・小さい子供が服を着たがらないのは、裸でいることの開放感を知っているからなのでしょう。
・「良いか・悪いか」「正しいか・正しくないか」で物事を選ぶと、必ずそこには損得感情がつきまとうからです。
そして、判断基準が、「一般的にはこうだから」「みんなそうだから」と外的要因に基づいてしまうことも多いといえます。
それでは本音に沿った選択ができているとは言えないと思うのです。(中略)
だからこそ判断基準は、「快・不快か」。それが自分の本音に寄り添うのに、とっても便利な問いかけだと思います。
・とことん悲しむこと(中略)
ネガティブな思いを見ないようにしたり、排除しようとしたりすると苦しくなります。
それはお腹に溜まったガスを出さないで、ぐっと体の中に押し込めているようなものなのです
だからこそ、ネガティブな感情はあなたの財産に変えていくためには、しっかりとあなたの中から出し切ることが大切です。
・動くために、休むこと(中略)
「土を触ること」も休むのに非常にいい効果をもたらします。畑作業やガーデニングなど、土を触ると体から電磁波を抜くことができるし、何より、頭を使わない時間を作ることができるからです。
砂のデトックス力も相当すごいです。実際に砂浴は治療としても使われるほど、悪いものを吸い取ってくれます。海に行くと、海に入らなくてもその夜ぐっすりと眠れるのは、その効果もあると思います。
・なぜ「自分の意見」が言えないのかと言えば、過去に「自分の意見を言ってはいけない」と注意されたことに基づいているのだと思います。
例えば子供の頃、「あれが食べたい」と言ったら、親に「わがままを言うんじゃない!」と言われたり、学校で、「あれがしたい」と言ったら、先生に「和を乱すようなことをを言ってはいけません!」と言われたり。
そんな過去の経験が、あなたの心に傷を残し、「自分の意見を言うこと=わがまま」という計算式を作ってしまったのです。
・「わがまま」と「意見を言うこと」は全くもって意味が違います。そして、意見とは、あなたの大切な気持ちのことなのです。
・ときには逃げること
自分に危険が迫っているのに逃げない人はあまりいないと思います。それこそ、ライオンに食べられそうになったら、即座に逃げようとしますよね(笑)。
それと同じで社会生活の中で攻撃してくる人がいるときは逃げてもいいと思うし、逃げるべきだと思います。
・ボロボロになるまで逃げずに頑張ることは、他人も自分も不幸にしてしまいます。
・自分の好きな人たちと、好きな場所にいて、その人たちと幸せな人を増やしていく。またその人たちとそのことを喜び合いながら、一緒にご飯を食べられること。
それが明確な私の幸せです。……はい、そうなんです。非常に地味です(笑)。
・小さな幸せを喜べば喜ぶほど、幸せの感度は上がります。そうすると結果的には大きな幸せもやってきます。
・よく言われてることではありますが、今すでにある豊かさに、感謝することでも幸福度は上がります。
住むところがある。
食べるものがある。
空気がある。
水がある。
着る服がある。
そうやって、当たり前すぎて忘れがちな幸せに目を向けると、あっという間にたくさんの幸せが見つかります。
・小さな幸せを喜べるようになると、結果的に大きな幸せもやってくるのです。
・人の数だけ答えがあり、人の数だけ「ほんとうは、なくてもいいもの」と「これだけは、だいじにしたいもの」がある。それでいいのです。(中略)
「たったひとつの幸せのカタチを探し求めること」です。
●書籍『ほんとうは、なくてもいいもの』より
斎名 智子 (著)
出版社 : サンマーク出版 (2022年5月初版)
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