書籍『新装版 すべては今のためにあったこと~今、誰もが「みたま(御霊)」に戻る新しい時代の中で』(中山 靖雄 著、中山 緑 著、入江 富美子 著、ヴォイス 刊)より
このウェブサイトにおけるページは、書籍『新装版 すべては今のためにあったこと~今、誰もが「みたま(御霊)」に戻る新しい時代の中で』(中山 靖雄 著、中山 緑 著、入江 富美子 著、ヴォイス 刊)を読んで良かったこと、共感したこと、気づいたこと、こんな視点もあるといった点などを取り上げ紹介しています。
・国家のことで、夫婦喧嘩をするということは、あまりないでしょう? 今日の喧嘩の原因は、円高ドル安だったとか、中東の石油問題から喧嘩が始まったわ、ということはまずないでしょう? だいたいが、今日のご飯は硬いとか柔らかいとか、みそ汁が甘いとか辛いとかといったことで喧嘩をするんですね。
これは笑い話ですが、楽しい夕飯時にお父さんが「今日のご飯、硬いじゃないか」と言ったら、お母さんは「ごめんなさい」と素直に言えず、ついつい「あらっ硬い? 水は昨日と一緒だけど?」とか、「炊飯器が悪かったのかしら」などと言ってしまった。
さらにはずみがついて、子どもを人質にとって、「お父さん、今日のご飯硬いんだって。お母さんはちょうどいいような気がするけど、あんたはどう?」なんて言ってしまう。子どもはどっちについたほうがいいかちゃんとわかっていますから、「僕はちょうどいいよ」とお母さんの味方につく。お父さんはたった一言ですっかり疎外されてしまった。そういうことって、いくらでもありますよね。
・私たちは、ついつい事柄を良し悪しにしてしまうものです。健康は良くて、病気が悪い。若いほうが良くて、年をとることが悪い。生きていることは良くて、死ぬことは悪いなど、そんなふうに二者択一にしてしまいます。
よく考えてみれば、病気がなければ、健康もないのです。年を取らなければ、若さというものもありません。死ぬという世界がなければ、生きるという世界は成り立ちません。ところが私たちは、どうしてもこれが良くてこれが悪いという二極の世界を生きてしまうわけです。
・良し悪しで決めたくなる出来事に出会ったその縁を、どうとらえていくかが大切です。こうして見えない世界に心を向けることが、心を修めることにつながっています。
・やり直しはできないけれど、出直しはできる。今を生きる自分の思いは、過去にも未来にも必ず伝わっていきます。
・母の日のプレゼント(中略)
背中を押されるようにしてお風呂に入ったといいます。すると、娘さんが後から入ってきて、「お母さん、タオルとシャボン貸して」と言って背中を流して始めた。
「何あなた、あまり変わったことしないでよ」と言うと、娘さんが、「生き仏の墓掃除よ。死んでからは、そんな暖かい暮石、流せないもんね」と言いながら、背中を流してくれたのだそうです。
・どんな親だから尊敬できる、どんな親だから尊敬できない、ということではありません。この親だったから、この親がいてくれたから、私がこの世に生まれてきたということをどうかわかって欲しいのです。
・「よく見られたい」という心の計算は、魂から見ると嘘の世界です。それを修めていくのが心の「修養」です。
・役割に上下はありません。天から与えられた役割を素直にありがたくとらえて、喜びをもって務めることです。
・「籠(かご)に乗る人、担ぐ(かつぐ)人、そのまた草鞋(わらじ)を作る人」という言葉があります。人の役割の尊さを伝える言葉として使われてきました。
・顔がよくて、足の裏は割が悪い、と考えられるかもしれません。しかし、必ずしもそんな事ことはないのです。お風呂に入る時、どこから入るかというと、だいたい足の裏から入るでしょう。最後まで入ってるんも足の裏でしょう。顔なんて一生お風呂に入れないんですからね。
・「役割」が「立派」なのではなく、その「役割」をどうとらえて、生きて生きるかによって、「人生の立派さ」が変わっていきます。
「役割」をいいふうにとらえて、生きることができるか、できないかというのは、「自分があるか、ないか」というところに関わってきます。
・湧き上がるものでお話しすることは、計算ではなく、自然に起こったものです。そういう素直なところから行動したことは、「いいふうに」なっていくものです。
・悪い時こそ「いいふうに」取れるかどうかが大事です。
・人は、自分らしく、根を張りながら、自分という花を咲かせるために生まれてきました。この「種に秘めたる花の確かさ」を知っていると、私たちは大変生きやすくなると思うのです。
・人生を歩んでいくうちにほこりを積んだり、汚れを積んだりしてしまう。生まれてきた時は美しいのに、だんだん汚れていくのです。だから、私たちは「出会いを通して、自分と出会う」ようになっています。
・人生は、何をしてきたかではなく、どういう思いで生きてきたか、喜んで生きているかどうかが大事なのだと知りました。
・子どもの気持ちを変えられない時は、自分を変えるしかないのです。
・天照近江神様(あまてらすおおみかみ)はこのように答えられました。「生まれた時には穢れ(けがれ)はありませんでした。ところが、月日を過ごしていると、世の中のいざこざを目にもするし、聞きにもする。いつのまにかさまざまな穢れがついてしまうのです。だから私は禊(みそぎ)をするのです」
・悩みがある方から相談される場合、その悩みがすぐ解決することがいいことかどうかはわかりません。その方にとっては悩む期間が必要で、その果てに解決があるとするならば、その時にその言葉が届くかどうか判りませんし、すぐ解決になるかどうかはわからないのです。そのことを知っておくことも必要です。
・立場が違えば意見が違う。どうしてこんなに心を二分するようなことばかり起こるのかと思いますね。しかし、こういうことが起こっている今、二つに分かれることで、お互いにもっと深く知り合いなさいと、天が言ってるように思うのです。「知ることの深さは愛することへの道」だからです。
・「世直し」と「世直り」は違います。「世直し」は、世の中を自分の外に見ています。世直しというのは、まず自分がいて、「俺はこうして世直しをするんだ」という思いです。
一方「世直り」というのは自分直りということです。天の仕込みがあって、自分が天来の行き方になっていく。自分が直ったら、世の中も直るという世界です。それが「世直り」です。
・「無敵」という言葉がありますが、強くなったから「敵がいない」ということではなく、すべてと和解し、何とも戦ってないのは「無敵」なんです。
入江 富美子 氏談
・主人の言っていた無敵とは、「どこにも、誰にも敵をつくらない」ということ。
中山 緑 氏談
・詫びて花咲き、お礼で実る
●書籍『新装版 すべては今のためにあったこと~今、誰もが「みたま(御霊)」に戻る新しい時代の中で』より
中山 靖雄 著
中山 緑 著
入江 富美子 著
出版社 : ヴォイス
発売日 : 2022/11/23
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