枡野 俊明 氏 書籍『平常心の心得~感情に振り回されない心のつくり方』(総合法令出版 刊)より
このウェブサイトにおけるページは、書籍『平常心の心得~感情に振り回されない心のつくり方』(枡野 俊明 著、総合法令出版 刊)を読んで良かったこと、共感したこと、気づいたこと、こんな視点もあるといった点などを取り上げ紹介しています。
・いつも穏やかで、ものごとに動じることがなく、泰然自若(たいぜんじじゃく)としている
・本書で試みたのは、誰もが日常的に直面する、感情に振りまわされそうな場面で、どう対応したらいいか、どのようにしていち早く平常心に戻るか……を禅語のなかに探るということです。
・「両忘(りょうぼう)」という禅語は、自分のものさし、すなわち、いい・悪い、好き・嫌い、好ましい・好ましくない、といった自分の中の判断基準を忘れなさい、と教えています。
忘れることで心は自由になります。
・一行三昧(いちぎょうざんまい)
常にそのことに、ひたすら、心を注いで取り組む。
・一行三昧(いちぎょうざんまい)(中略)
悲しかったら涙を流しきればいいのです。悲しみにひたりきったらいい。
・悲しみを誤魔化したりせず、真っ正面から受けとめて、その悲しみにひたりきる。そこから次なる道が開かれていくのです。
・悲しいときは、「もう、これでいい」というところまで悲しみきろう。それが、悲しみを人生に活かす"妙法"。
・老いて体力が衰えた自分も、病の床に伏している自分も、そのときのあるがままの自然の姿なのです。(中略)
それに抗って(あらがって)若さを求めたり、健康に思いを馳せたりするから、苦しみが生まれ、悲しみや嘆きが口について出るのです。あるがままの自然の姿を受け容れる。まず、そのことが大事です。
・病気になって自分の人生の来し方行く末をじっくり考えることができた、他人の痛みはわかるようになった、熱中できる趣味が見つかった……。そんな人たちも少なくありません。
どれも、出発点はあるがままの自分を受け容れる、というところにあります。
・老いや病に抗って、悲嘆にくれている暇はありません。できること、やるべきことは、たくさんあります。
・夏炉冬扇(かろうとうせん)
この世に無用なものなどない。いま必要ないと思われるものでも、必ず、役に立つときがやってくる。時機を読むことが大切、ということ。
・立ち位置がない間も、腐らず、嘆かず、自分ができる努力を怠らなかった
・「雌伏(しふく)」という言葉があります。日の目を見ない状況のなかでも、実力を養いながら、活躍の機会をじっと待つ、という意味ですね。何より大切なのはこの姿勢です。
・「〜ながら」という流儀は、禅がもっとも戒めるところなのです。
履きものをそろえるという行為、ふるまいと心は深く関わっています。履きものをそろえず、脱ぎ散らかすというふるまいは、心の乱れをあらわすものです。
・「水は低きに流れ、人は易きに流れる」という言葉がありますが、いったん自分を律することを忘れると、どこまでも落ちていくのが人の性でもあるのです。
・わたしは常に仕事が山積状態ですが、行動するときは目の前のそのことだけに集中していますから、一杯一杯になることはありません。
・足ることを知らない人は、どこまでいっても満足ということがないから、裕福であっても心は貧しい。一方、足ることを知っている人は、貧しくても幸せを感じていられるから、心はどこまでも豊かである
・皆さんが求めているのは、物質的な豊かさですか、それとも、心の豊かさでしょうか? (中略)もし、心が豊かでいたいと思っているのであれば、「知足」の生き方、すなわち、「もう、これで十分。いまのままでありがたい」という思いを持って生きるべきでしょう。
・悲しみの淵に沈んでいるときに、たとえなにも語らなくても、自分の気持ちを受けとめ、それに寄り添ってくれる。そんな友人の存在が、人生をどんなに豊かに、どれほど潤いのあるものにしてくれるか。
・坐禅の「坐」という字は、土の上に人がニ人座っていることをあらわしています。一人は現実の自分ですが、もう一人がその本来の自己です。静かに自分と本来の自己が問答をする。それが坐(禅)が意味するところなのです。
・安閑無事(あんかんぶじ)
安らかな心、穏やかな心で、静かに暮らす日々。そんな日常にこそ幸せがある。そのことに気づき、感謝することが大切である。
・仕事に定年はあっても、人生に定年はありません。過去に縛られないまっさらな自分になって、一から定年後の時間を生きていく。それしか、人生全体を充実させる道はない
・花も人もそのときにある(いる)その場所で咲くしかないのです。(中略)
その白雲に学ぶべきは、そのときどきの自分を受け容れることの大切さでしょう。受け容れるから、その環境に馴染み、こだわったりとらわれたりせずに、変幻自在に対応していけるのです。
・寂しいときは、自分を磨けるとき(中略)
友人や恋人がいない寂しさを嘆くのではなく、「いまは自分を磨くときなのだ」と考えたら、心は前を向きますし、やるべきことも見えて、日々が充実するでしょう。
・怒りがこみ上げたら、深い呼吸を数回するのです。おへその下あたりに「丹田」と呼ばれる部分があります。その丹田を意識し、そこから吐き出すつもりで、息をゆっくり吐きます。
・こちらが、相手の言葉に反応せず、泰然自若としていたら、もう、勝負あった、です。"格の違い"を感じた相手は、すごすご退散するしかなくなります。
・上司もそれぞれタイプが違う(中略)
「ミーティングの前日になったら、先方にアポイントの確認するのは、イロハのイ、常識中の常識だろう。いったい何年この仕事やってるんだ。まったく、使えないな」(中略)
早い話、温和をもってなる別の上司であれば、「アポイントの確認は忘れないようにしろよ」と本質だけを伝えるかもしれません。
・言葉の枝葉末節にとらわれるから腹が立つ。本質だけを受けとめたらいい。
・やるべきことは、ただちにやる。それが時間を有意義に使うための鉄則です。やる気を出すには、ただいま、そのとき、しかないのです。
・「即今(そっこん)、当処(とうしょ)、自己」。これも禅の言葉ですが、その瞬間に、自分がいるその場所で、みずからがやる、ということの大切さをいったものです。
・自分に与えられた仕事がなんであれ、それは縁によってもたらされているのです。そこでしっかり縁を結び、精一杯自分を発現していく。大切なのはそのことです。
・本塁打の世界記録を持つ王貞治さんは、投手として巨人軍に入団しました。しかし、投手では芽が出ず、野手(一塁手)に転向したわけです。その際、「自分は投手でこそ活躍できる。野手になりたくない」と主張していたら、打撃の才能が開花することはなかったでしょうし、もちろん、あれほどの実績を残すこともできなかったはずです。
・失敗はうまくいかない方法の発見。やり続けたら、失敗が成功への一里塚になる。
・禅語がいうように、喜びに満ちあふれた人は、人を惹きつけるパワーを持っています。では、心の内にあふれる喜びをあらわすのはなんでしょうか。なによりも笑顔ではありませんか?
・誰でもいつも笑顔でいる人には親しみを感じますし、好感を持つものです。心を開いてもくれる。心の交流が生まれ、いい人間関係が築かれていくのです。誰だって顰(しか)めっ面、仏頂面の人には近づきたいとは思わないでしょう。
・着手から失敗という結果に至るプロセスのどこがまずかったのか。それを明らかにすれば、どうすればよかったのかがわかりますから、二度と同じ失敗を繰り返すことはありません。つまり、失敗しないためのスキルが一つ手に入るのです。
・「〜していたら失敗しなかった」「〜していればよかった」という“たら、れば“の発想は、悔いをふくらませ、落ち込みを深めるだけです。
・目先の結果を求めると、焦りにつながり、焦りは執着や邪念のもとになります。すると、その執着や邪念に縛られ、振りまわされることにもなっていきます。
結果はもたらされるもの、ついてくるものですから、自力ではどうにもできないのです。
・わたしは庭園デザイナーとしての仕事もさせていただいています。(中略)
「見る人を感動させるには、石をどんなふうに構成したらいいんだろう?」
「誰もが目を見張って、その場に立ち尽くすような庭にしなければいけない。どうしたら、うまくそんな表現ができるのか?」
そうした思惑が少しでもあると、作品はことごとく失敗します。思惑は雑念の最たるものだからです。心が力で、感性、感覚が鈍くなり、十分に働いてくれないのです。
・心を縛っているのは、自我、我欲、執着、妄想……といったものです。これらを仏教では「煩悩(ぼんのう)」といっています。煩悩は焦りの原因にもなるのではないでしょうか。
・自我は「自分が、自分が」という思いです。人より自分が前に立ちたい、自分の主張を通したい。心がそのことに縛られているわけですから、自分より前に出る人や自分の主張に反対する人が、我慢のならない存在にもなります。
・坐禅に代わるものをあげるとすれば、先にお話ししたと丹田呼吸でしょうか。丹田から息を吐ききり、吸った息を丹田まで落とす。それを何回か繰り返してると、しだいに心の曇りが消えていきます。煩悩が薄らいでいくのです。
・さまじまな不安、焦りが生じるのは、「この先」が見通せないからではないでしょうか。その不安や焦りを解消するにはどうしたらいいか。(中略)
未来に続く道(長安)は、まだ見えないかもしれません。確約されたものはない。だからこそ、歩みをとめずに前へ進むしかないのです。
ちょっと迷いながらでもいいのです。いまいる自分の居場所で、さまざまに模索しながら、挑戦をしながら、ときにへこんでも、そこを立て直す。それこそが「長安」への大道です。
・土壌になるのは「感謝」である、と私は思っています。感謝から一日をスタートさせ、感謝を持って一日を終える。
・「お陰様で 一日無事に過ごせました。ありがとうございます」(中略)
感謝の思いが心にあふれていれば、悲しみや怒り、羨望や嫉妬、寂しさや焦り、といった感情は入り込んできません。
●書籍『平常心の心得~感情に振り回されない心のつくり方』より
枡野 俊明(ますの しゅんみょう) 著
出版社 : 総合法令出版
発売日 : 2018/12/7
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