このページは、書籍「本の百年史 ~ベスト・セラーの今昔~」から、教え学んだこと、共感したこと、気づいたことなどを取り上げ転載しています。
・ベスト・セラーズという言葉は、私はあまり好きではない。浮薄な流行の感じがする上、本の内容的価値にさして関係しないからである。
・明治初年の3大名著
(1)福沢本の普及
(2) 『西国立志編』と『輿地誌略』
(3)実録物と翻訳物
・この時代の本は、ほとんどすべてが薄い小冊子による冊仕立てであることも、留意せられる。わたしのみた明治十三年ごろのもので、『学問ノススメ』各編が三銭三厘であった。
・大正期の三大ベスト・セラーは、これまでにあげた『出家とその弟子』『死線を越えて』『地上』をもってあてるのが、普通である。
・昭和初期のベスト・セラー作家と呼ばれる人は誰であろうか。大衆作家をのぞくと、まず第一に菊池寛の通俗長編小説があげられるのではあるまいか。
・関東大震災の直後に出した『大震災火の東京』(大正期参照)当時のことを思いうかべたわけである。帰社すると、社員に向かって、日米会話の手引の出版を提唱した。
この企画はすぐに実行に移され、一夜で和文の原稿をつくり、これに英訳をそえて、四六半截版三十二ページの『日米会話手帳』を三十万部印刷した。
定価五十銭のつもりが、配給会社(日配)の意見で八十銭にした。九月十五日のことである。注文が殺到し、大日本印刷の輪転機を一週間動かして、三百万部を刷りまくり、なおたらぬために、地方の中小印刷所を動員し、短時日の間に結局、総部数三百六十万部を売りつくした。
・昭和二十六年
アメリカ渡りの「ベスト・セラー」ということばが、現在のように“定着化”しはじめたのは、このころからであるとみられる。
・昭和二十九年
文庫合戦(二十六、七年)から全集合戦(二十七、八年)をへて、二十九年は“新書判時代”を迎える。
・三十五年には、またも文学を中心とする全集が活発に出版されだした。
・昭和三十六年
二ヵ月で百万部突破の『英語に強くなる本』
一冊の本で、短時日に百万部も出るという“爆発的”な売行は、敗戦直後の『日米会話手帳』の例を除いて、戦後はむろん、出版界での新記録といえる。
・「ペーパーブックス」(紙表紙の軽装廉価本)ということばが、盛んに使われはじめたのは、この三十七年初夏のことからである。
・ベスト・セラーは良書とは限ってはいない。単なる一時の流行であることが多い。特に昭和三十年ごろから、出版界にも、流行を作る傾向が生まれ、ベスト・セラーもまた作られるものが少なくないように思う。
●書籍「本の百年史 ~ベスト・セラーの今昔~」より
瀬沼 茂樹 著
出版ニュース社 (1965年9月初版)
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