このページは、書籍「吉本興業の正体」から、教え学んだこと、共感したこと、気づいたことなどを取り上げ転載しています。
・とりあえず楽屋で人と会ったら元気に挨拶するようにいわれているんです。ひょっとしたらテレビ局のディレクターが取材やスカウトに来ているかもしれませんからね。大きな声で挨拶するのはタダだし好印象を与えるからって
・吉本の営業の柱としてもっとも売上げの大きいのはテレビを核にラジオを含めた放送媒体
・吉本興業は一九一二(明治四十五)年の創業以来、一貫して芸人あるいはタレントという“生もの”を商品として扱ってきたのだから。
・先代の林裕章会長は、「劇場みたいなもん、なんぼやっても儲かりません。これだけは自信を持って断言します。」と、妙なところで胸を張っていた。
・吉本の野望を語るうえで外せないのが、経営企画室のトップで執行役員を兼ねる中多広志だ。
・吉本興業は、吉本吉兵衛(後に泰三)・せいの夫婦が一九一二(明治四十五)年に「第二文藝館」という潰れかけの三流寄席を買い取ったところから事業をスタートさせている。
・吉本の存在は、やがて大阪という都市の性格づけにも多大な影響を与えた。
・三枝の得がたい才能のひとつとして、“ツッコミ”の天分を忘れてはいけない。それは彼が司会、それも一般人を相手にしたときに断然光った。
・一九二一(大正十)年に神田の川竹亭を買収して「神田花月」と改称
・「ノーブランド(無印)タレント)つまり「師匠につかず学校で学ぶ」というシステムは完全に定着した。(吉本総合芸能学院『NSC』)
・決して目線を高く設定しない彼らの笑いは、作家性の高い松本人志と庶民性に富んだ浜田雅功の融合でしか成し得ない、極めてレベルの高い笑いだ。
・追い返しても、断っても、吉本さんは企画を持ってくる。
・時代の「半歩」先を行け
・松本の印税は司馬遼太郎のラインを突破するという“画期的な”料率で決定した。
・吉本を「巨大なお笑い専門のブロダクション」だと思っていたら事実誤認も甚だしい。彼らは、もっと強か(しただか)だし、もっと遠大な構想を抱いている。
●書籍「吉本興業の正体」より
増田 晶文 著
¥1,995(税込)
草思社 (2007年4月初版)
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