このページは、書籍「業務日誌余白~わが出版販売の五十年(松本 昇平 著)」から、良かったこと、共感したこと、気づいたことなどを取り上げ紹介しています。
・大正の五大ベストセラーは『出家とその弟子』、『地上』、『死線を越えて』、『人肉の市』、『小鳥の来る日』
・いま出版界で音羽といえば講談社、一ツ橋といえば小学館を指すように、当時日本橋といえば博文館を指したものである。
・大正十年代には、出版社の数は四百三十社、卸取次店約二百店、小売書店約九千店と算せられていた。
・いまを時めく百科辞典の下中平凡社創業の大ベストセラー『や、此れは便利だ』(「や便」)は、出版以前の著者から販売まで一人でやっている。
・谷崎潤一郎の『文章読本』 (中央公論社) は、文章読本ものの第一号で、さすが大家のものという烈しい売行きであった。
・販売係の“三種の神器” 「発送帳」、「予約定期台帳」、「新刊正味帳」
・発送帳は言うならば、「得意先元帳」の役目までもしていたのである。
・最悪の返品率だった昭和五年
・「発送帳」はかつて、「大福帳」や「金銭出納帳」などとともに、売上げの控え帳であった。
・「全国有力書店名簿」が工学書協会の須長幹事長に認められ、日販は立ち直った。
・「工業書協会30年の歩み」(一九七九年十月刊)(中略)本の巻末に掲載されている「特約書店名簿」
・この時の私たちがこの無名の一編集者から受けた出版への情熱は永久に忘れられない。(『少年期』を作った光文社の神吉晴夫氏のこと)
・安い本の売れる時には高い本が売れる
・東京堂、日配、日販と経てきた過去は、険しい道であった。
・「英語に強くなる本」のこと
この本の販売は従来の売り方とは全く違ったキメ細かい販売網を利用して成功したのであった。(中略)
この時期に日販と光文社には「日光会」というのが、特定のメンバーで潜在的にできていた。(中略)
ベストセラーの上位にランクされていた『頭のよくなる本』からヒントを得たのだろう、『英語に強くなる本』に決めたのは販売部の係長高橋五郎(現日販取締役)であった。(中略)
売行き最高潮の時であったが、押し寄せる注文を尻目に私はこれを初めての試みである雑誌店ルートに送った。
日常、新刊書籍を委託送本しない雑誌店にも、予告なしで五キロ小荷物一個にして送り付けのできる有難いご時世であったから、雑誌の平台に雑誌と共に積んで売らせたのである。
●書籍「業務日誌余白~わが出版販売の五十年」より
松本 昇平 著
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新文化通信社 (1981年2月初版)
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