このページは、書籍「しあわせを感じる喜び(林 覚乗 著)」から、良かったこと、共感したこと、気づいたことなどを取り上げ紹介しています。
・体の障害を、その人の欠点ではなく個性と考える。
・障害はその人の個性なんだ
・お父さんが入浴しているところへ、娘のめぐみちゃんが靴をもってきて洗い始めました。
「おばあちゃんが洗ってくれたのだけれど、ちっとも汚れが取れていないの」と、不平を言いながら洗っています。お母さんは「どうして最初から自分で洗わないの」と叱っています。
しかし、入浴していたお父さんはの叱り方は、お母さんとは違っていました。
「そのまま二、三日はいてから洗いなさい。一度もはかないで洗ってはいけないよ。めぐみも自分で洗った靴を一度もはかないで洗われたらイヤな気分がするでしょう。まして歳を取ったおばあちゃんが洗ってくれたのだから、ありがとうと言って、二、三日はいてからにしなさい・・・・・」
さらに、
「おばあちゃんに、歳を取って靴も満足に洗えなくなったと落胆させてはいけないよ。おばあちゃんが歳を取っても靴を洗ってくれるなんて、よくよくめぐみがかわいいからじゃないのかな。本当ならめぐみがおばあちゃんの仕事を手伝ってあげるのが人間の道ではなのかな。それをおばあちゃんの洗ってくれたものが気に入らないからといって洗い直しをするというのでは、おばちゃんに悪いではないか。人間の好意は素直を受け取るものだよ。」
するとめぐみちゃんは泣きながらうなずいて、風呂場から出ていきました。
・子どもたちに贈る家宝
私が主人と結婚をしようと決心した時、主人が私の実家の両親にあいさつに来てくれました。父と母がは私たちの結婚を喜んでくれ、型通りのあいさつがすむと、父が仏壇から一冊の貯金通帳を取り出してきました。それは私も知らないものでした。父は主人と私の前にその貯金通帳を開くと、「娘のために貯金してきたものです。わずかですが、ぜひ使ってください」と主人に言いました。
通帳をのぞくと、金額で八十四万円入っていました。びっくりしたのは、一回も出金がなかったことと、入金欄には小さな数字がずっと並んでいたことです。その一回一回の入金額はずべて百五十円以下でした。つねに八十八円とか、百二十円とか、六十五円とかでした。本当にわずかなお金でしたが、娘の私のために両親が苦労して貯めた貯金通帳でした。
・仏教では「中道」を重んじます。中道は、何か一つのことに偏らないバランスの道です。
・私の知っている経営者の方で、大晦日の夕日に手を合わせる人がいます。つつがなく一年を過ごすことができましたということで、従業員とその家族に感謝する気持ちで手を合わせるのだそうです。
・平凡なことを長く続けることは非凡です。
・何のために会社は利益を追求するのか
・(朝のラッシュアワーのバスで運転手が)「あと一ミリずつでけっこうです。乗れない方のために詰めていただけませんか」効果は抜群でした。客はどっと笑いながら、一歩二歩後方に詰めました。十人以上余分に乗れたのではないかといいます。
・人はみかけによらない
・心の改革がしあわせを生む
・「私の仕事は人の役に立つ仕事です。どんなことをしているかと言えば、水道の配管工事を通じてです」
・私は他人に悪く言われても、自分が正しいと思ったことは、意見は言うべきだと考えています。それが、正しいか、正しくないかは、皆さんが決めることです。
・「しあわせを感じる喜び」は、あなたのすぐ近くにあります。しあわせを感じる心を毎日つくっていけば、毎日がしあわせなんです。
●書籍「しあわせを感じる喜び」より
林 覚乗 著
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文芸社 (2002年9月初版)
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