このページは、書籍「原稿料の研究~作家・ジャーナリストの経済学(松浦 総三 編集)」から、良かったこと、共感したこと、気づいたことなどを取り上げ紹介しています。
・『物価の百年』(大門一樹著)によれば、明治初期の稿料で一番高かったのは翻訳料であった。
・菊池(寛)は、数年後に原稿用紙一枚百円の原稿料を『キング』からもらっている。
・日本では、明治末期から、四百字詰原稿用紙一枚に対して、何円という支払われ方をするようになったことから、原稿料と呼ばれるようになった。
・私のみるところでは、もっとも高い原稿料を取り、しかも多くの枚数を書きとばした流行作家は、明治時代は尾崎紅葉、大正末年から昭和ひと桁代にかけては菊池寛、昭和十年代から二十年代末の戦中と戦後混乱期は吉川英治、そして昭和三十年代以降は、松本清張、ということになる。
・「漱石の印税帖」(松浦譲著・松岡は漱石の女婿)によると、明治三十九年十二月に、春陽堂と漱石との出版契約書は、つぎのようになっている。
貴著鶉籠出版ニ就テ覚書
一、今回貴著鶉籠出版ニ就テハ該印税ハ左記割合ヲ以テ納付スル事ト相定メ候事
第一版壱割五分、但し初版に限り免税百部及献本三拾部
第弐版ヨリ五版マデ弐割ノコト第六版以上 参割ノコト
一、製本奥附に貴殿認ノ調印ナキモノハ凡テ偽版ノ認メラルベキコト(中略)
一、製本出版部数ハ第一版ハ参千部第弐版ヨリ第五版マデハ壱千部以内第六版ヨリ五百部以内ノ事
一、以上ハ貴殿ト発行者タル当春陽堂ニ於テ交互熟議承認ノ上党書ヲ作成致シ候事
明治三九年拾弐月
東京市日本橋区通四丁目五番地
夏目金之助殿(傍点ー松浦)
・「たちまち十版」など広告に出ているが、一版といういうのは何部か、きわめてあいまいである。
・この印税制度を初めて実行したのは森鴎外であった。
・この印税制度を初めてはっきり主張した森鴎外は、「それがいやなら本を出さん」というので、面くらった春陽堂は、どのくらい出していいかわからず、二割五分支払った。外国ではそのくらい支払っているらしい。つづいて漱石には、三割一分支払った。
・一日何時間執筆しているか、三時間(11名)四時間(7名)五時間(12名)というのがもっとも多かった。
・作家 井上ひさし
①これまでに貰った最高の原稿料、最低の原稿料(四百字詰一枚)。
最高 三千五百円 最低 無料
・評論家 扇谷正造
①これまでに貰った最高の原稿料、最低の原稿料(四百字詰一枚)。
最高 一枚(四百字)二万円 ただしコマーシャルの類。
・毎年の所得番付はの新聞発表は、所得額だけである。どうせ公示するのなら、その所得に対していくらの税金を納めるか、それもつけ加えておいて欲しいものである。
・文壇人所得番付表
●書籍「原稿料の研究~作家・ジャーナリストの経済学」より
松浦 総三 編集
日本ジャーナリスト専門学院出版部 (1978年11月初版)
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