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浜田 和幸 氏(書籍『エジソンの言葉』より)

このページは、書籍『エジソンの言葉(浜田 和幸 著)』から、良かったこと、共感したこと、気づいたことなどを取り上げ紹介しています。


・耳は不自由。小学校は数カ月で退学。父親からは虐待を受け、一攫千金を夢見て放浪の旅に出かけた男。そんなハンディキャップ人生を背負わされていながら、世界最大の企業ゼネラル・エレクトリックの「創業社長」になれたのは、なぜか。

実は、未来の発明王はメモ魔であった。少年時代から晩年にいたるまで克明な日記を残している。


・天才とは1%のひらめきと99%の努力の賜物である。(中略)

「1%しか才能がなくても、努力で成功をつかめ!」……そんな使われ方が、この格言の一般的な解釈である。

しかし、エジソンはは本当にそう思っていたのであろうか。1929年2月11日・エジソン、82歳の誕生日。その日の記録に、実は次のような記述がある。

「最初のひらめきが良くなければ、いくら努力してもダメだ。ただ努力だけという人はエネルギーを無駄にしているだけなのだが、このことを分かっていない人があまりに多い」。

あまりに有名になったエジソンの格言だが、本人は大いに迷惑していたようである。なぜなら、彼の真意は「“ひらめき”を得るためにこそ“努力”が必要だ」という点にあったのだから。


・お金を儲けるのは簡単だ。自分が貧乏であることに気づき、もっと注意深く物事を考えるようにすればいい。


・私は余分なガソリンを食わない。足るを知ることは、今を大切にすることになる。(中略)

自分にとって、体調を崩したときの特効薬は食事を抜くこと


・もっともらしい考えの中に、新しい問題の解決の糸口はない。


・同じく、耳の不自由であった三重苦のヘレン・ケラーとも仲が良く、よく二人でピアノの脚に抱きついて弦の振動を全身で受けとめていた。彼らは耳が聞こえなくても、独自の工夫によって、音楽をエンジョイする方法をあみ出していたのである。


・ミキモトさん、あなたのおかげで、私は植物からゴムを作ろうと思うようになった。

※真珠の養殖を生み出した御木本幸吉氏のこと


・人から批判されることを恐れてはならない。それは成長の肥やしにとなる。(中略)発明に必要なのは学歴ではなく、常識というワクにとらわれない自由な発想である


・日本の京都から取り寄せた八幡竹によって、実験は見事成功したのである。ニューヨークで初めて灯った白熱電灯は日本の竹から作ったフィラメントが発した光の成せる技であった。


・耳が不自由であるからこそ、蓄音機や電話の発明や改良に成功できた。耳の聞こえないことのデメリットを嘆くより、そのメリットを活かすことを考え、実践することで道は開ける


・質素な食事は人生を快適にする


・本ほど時代や世界を超えて、対話を楽しめる相手はいない。


・読書は時間の節約になる。


・ユーモアが通じない人はビジネスチャンスを失う。


・人生の節目節目で体験した危機的な状況に際して、母ほど自分を認め、信じてくれた人はいない。それなくしては、決して発明家としてやっていけなかった気がする。母の記憶は神の祝福に等しいものである。


・お金は人を幸せにしない。


●書籍『エジソンの言葉~ヒラメキのつくりかた』より
浜田 和幸 著
大和書房 (2003年11月初版)
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