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長谷川 一 氏(書籍『出版と知のメディア論』より)

このページは、書籍『出版と知のメディア論(長谷川 一 著)』から、良かったこと、共感したこと、気づいたことなどを取り上げ紹介しています。


・書籍・雑誌とも戦後一貫して右肩あがりの成長をつづきてきた。その間、一般的な経済状況が不況に陥った時期にも、出版産業は、むしろ不況を商売の種にするたくましさで、その直接の影響をまぬがれてきた。「活字離れ」「出版不況」という言葉は一九八〇年ごろにはすでによく聞かれたのだが、それでも実際には売上げは伸びつづけていた。「出版は不況に強い」という神話すら存在したのである。


・学会とは、専門分野を同じくする研究者たちの集団である。


・近年では、持ち込み原稿よりも、編集者が研究者へ執筆をもちかける、いわゆる依頼原稿のほうが増える傾向にある。その割合は、大学出版部全体の新刊の三七パーセントを占めるほどである。


・アメリカには一〇〇以上の大学出版部があり各地に散在しているが、出版分野についてもはっきりと棲み分けを図っている。


・一九八〇年代初めにニューヨーク州立大学出版局の理事を務めた経験をもつ経済学者、佐藤和夫は、大学出版部にも「メジャリーグ」と「マイナーリーグ」があると書いている。


・東大法学部学生が岩波新書を読まなくなったのは、単につまらない本だったからだけなのかもしれない。※ノンフィクション作家、佐野眞一氏


・エディターシップとは職業的編集行為や編集実務、編集技術のことではない。なにかとなにか、ひととひと、コトとコト、あるいはコトとひとをつなぎ、統合へと導く創造的能力がエディターシップである。


・(明治五)、慶応義塾に出版局が設置された、福沢諭吉の出版活動は一八六八年(慶応四)の慶応義塾発足直後から始まっており、一八六九年(明治二)に書物問屋仲間に加入し、「福沢屋」と称して盛業中だった。慶応義塾出版局はこの「福沢屋」が発展したもので、出版物の奥付表示(imprint)には、「慶応義塾」と「福沢屋」が二枚看板としてつかいわけられた。(中略)有名な『学問のすヽめ』(一八七三年)も慶応義塾出版局から出版されたものである。


・みすず書房の編集部長、守田省吾さんが目をとめてくださった(中略)同編集部の島原裕司さんは、遅延を重ねる筆者の校正作業にていねいに伴走してくださる一方、練達の技で編集作業をすすめてくださった。


●書籍『出版と知のメディア論~エディターシップの歴史と再生』より
長谷川 一 著
みすず書房 (2003年5月初版)
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