このページは、書籍『やってみなはれ みとくんなはれ(山口 瞳 著、開高 健 著)』から、良かったこと、共感したこと、気づいたことなどを取り上げ紹介しています。
・私は宣伝部には接待費がないことを知った。そもそも、当時の寿屋宣伝部の伝票には接待費という項目がなかったあのである。すべて自腹だった。
「そうすると、あれですか、開高さん、あなたが喫茶店やバーで私に奢ってくれたのは全部自腹だったんですか」
・女はのちに赤玉楽劇団のプリマ・ドンナとして人気を集めた松島恵美子である。
※赤玉ポートワインのヌード・ポスター
・広告の天才といわれた片岡敏郎が入社したのは大正八年である。初任給三百円。
・酒は生きている。酒には神秘がある。この考えがサントリー製造の発端となる。
・寒いのである。湿っぽいのである。霧っぽいのである。晴れたかと思うと、さっと氷雨がふりかかってくる。これがウイスキーの貯蔵には、もってこいの条件なのである。木津川、桂川、宇治川の三川が合流している。大阪平野と京都盆地の接合点で濃霧が発生しやすい。空気は乾燥することがない。
・サントリーのサンは太陽であり、すなわち赤玉であり、赤玉の鳥井だからサントリーとするのが正しい。(中略)赤玉ポートワインのおかげでウイスキーが出来たのである。それは世間の人たちのお陰であり、社会の恩恵であった。日本に立派なウイスキーをつくることによって御恩を返したい。それがサントリー命名の由来であった。
・「ヘンコツ」とは大阪弁で、よくも悪しくも、変り者、奇骨、反骨、個性などをさす言葉である。信治郎はよく人をさしてそういったらしい。
・昭和三五年の某日、佐治敬三は雲雀ケ丘の邸で静養している父信治郎の枕頭で、ビール製造の決意と企画をうちあける。(中略)
細心に細心を重ね、起り得るいっさいの事態を想像しておけ。しかし、さいごには踏みきれ。賭けろ。賭けるなら大きく賭けろ。賭けたらひるむな。徹底的に食いさがってはなすな。鳥井信治郎の慣用句“やってみなはれ”にはそういうひびきがあった。
●書籍『やってみなはれ みとくんなはれ』より
山口 瞳 著
開高 健 著
新潮社 (2003年8月初版)
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