このページは、書籍『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』(村上 春樹 著)から、良かったこと、共感したこと、気づいたことなどを取り上げ紹介しています。
・どうなるか僕にはわかりません。この角を曲がったらその先に何が待ち受けているのか、書いていても見当がつきません。
・僕の中にはタンスのようなものあって、そこにはたくさんの抽斗(ひきだし)がついています。何百という数の抽斗です。そのような抽斗から、僕は必要に応じて記憶やらイメージやらを取り出して使います。
・この世界や、この社会のリアリティーを描こうとすればするほど、それは非リアリスティックな物語になっていく。
・僕自身は特に読者の年齢層を意識して小説を書いているわけではないのです
・アイデアがわいたから創作を始めるというのはありません。どんな長い小説でも、最初はいくつかのプロットと、登場人物程度しかありません。いかなる設定も持たずに書き始め、ただただ日々書くことによってストーリーを発展させていく。まわりにあるすべての要素を日々吸い込み、それを自分の中で消化することによってエネルギーを得て、物語を自発的に前に進めていくのです。
・最も大事なのは、そうして出来上がった登場人物が、どれだけリアリティーを持っていて、読者の生き生きとした共感を呼ぶだろうかということです。
・僕が最初に小説を書いた二十年前も、読者層はやっぱり二十代から三十代前半だった。不思議なことに、年齢層は変わっていなんです。
・まず文章が読みやすくて話が面白くて、しかも理解しきれない何かが残る。そしてその何かは、簡単に見過ごすことのできない「何か」だと感じる。だから人は読み返すんだと僕は思う。また物語にある程度の深さというものが欠けていたら、もう「何なんだ、これ、わからないや」って放り出しちゃうと思うんです。
・物語という文脈を取れば、自己表現しなくていいんですよ。物語がかわって表現するから。僕が小説を書く意味は、それなんです。僕も、自分を表現しようと思っていない。
自分の考えていること、たとえば自我の在り方みたいないものを表現しようとは思っていなくて、僕の自我がもしあれば、それを物語に沈めるんですよ。僕の自我がそこに沈んだときに物語がどういう言葉を発するかというのが大事なんです。だからスタティックな枠みたいなものをどんどん取り払っていくことができます。
・自分が物語と立ち上げたことで癒された部分があるとすれば、それはあるいはA子さんという人を癒すかもしれない------ということがあるわけです。そのためには、本当に暗いところ、本当に自分の悪の部分まで行かないと、そういう共感は生まれないと僕は思うんです。
・僕の考える物語というのは、まず人に読みたいと思わせ、人が読んで楽しいと感じるかたち、そういう中ででとにかく人を深い暗闇に領域に引きずり込んでいける力を持ったものです。
できるだけ簡単な言葉で、できるだけ深いものごとを、小説という形でしか語れないことを語る
・『海辺のカフカ』の出版後、僕はインターネット・サイトを開設しました。六千通のEメールを受けとり、すべてに目を通しました。返信したメールは、千通以上になります。それはとても魅力的で、重要なことでした。なぜなら、読者と直接意見を交わすことができたんですからね。
・全員を満足させることはできないのは、よく知っていますから。
・僕の理想的な小説とは、言うならば、ドストエフスキーとレイモンド・チャンドラーをひとつにしちゃったようなものです。それがたぶん僕のゴールかもしれない。
・長編小説を書く時期に入っていれば、毎朝四時に起きて、五時間か六時間執筆します。午後には十キロ走るか、千五百メートルを泳ぐか、あるいはその両方をします。それから本を読んだり、音楽を聴いたり、だいたい九時頃には寝てしまいます。来る日も来る日もその日課をだいたいぴたりと守ります。休日はありません。
・これまでに出した本が少なくても英語圏では一冊も絶版になっていないということです。(中略)ロングセラーとして機能してきた。そういうのってアメリカの出版界ではかなり稀なことです。
・結末はオープンです。結末は最終的なものではない。僕はいつもそう考えています。
・MH:Eメールやインターネットなどの新しいテクノロジーの発達が文学の未来を脅かすと多く人が考えています。あなたもそう思いますか?
村上:ええ。そうですね・・・・・・でも小説という形態は二千年以上の歴史と経験を持っています。言い換えれば本は、あるいは物語はこれまでに何度も挑戦を受け、それに耐えて生き残ったきたということです。
・最近の人々はすっかり本を読まなくなったと。でも僕はそんな風に思いません。どんな強力な競争相手がまわりに存在してとしても、本を読む人は本を読むんです。パーセンテージは減ったかもしれないけれど、それでも進んで本を手に取る層は確実に存在します。
・原則的に言えば、机の前に座っていないときには、あまり小説のことは考えません。どちらかといえばまったく違うことを考えるように(あるいは考えないように)努めています。頭を切り換えるわけです。
・長編小説っていうのは、あんまりうまく書きすぎると息が詰まっちゃうんです。下手なところが残っていないと作品がうまく動かない。(中略)
洋服の着こなしと同じ、どっかひとつぽっと抜けていないと、隙がなくて冷たくなりすぎる。
・ゼロから何かを生み出して立ち上げることが、苦しくないわけがないんです。(中略)僕にとって大事なのは、それがいかに楽しいかということです。
・一つの物語を完全に終わりにするのは、子ども産むようなもので、他のなにかと比べることのできない経験です。
・------フル・マラソンの最高記録はどれくらいですか。
手元の時計で計ったタイムで3時間27分、一九九一年のニューヨークでの記録です。
・作家同士がスタイルや言葉づかいによってお互いを理解する
・ジャズからは三つの教訓を学んで、小説にも応用しています。それはリズム、ハーモニー、そしてインプロヴィゼーションです。
※ウィキペディアによると、インプロヴィゼーションとは、即興演奏(そっきょうえんそう)。楽譜などに依らず音楽を、即興で作曲または編曲しながら演奏を行うこと。英語:improvisation。
・新潮社の「新潮クラブ」ってありますよね。あそこにこもって集中して書きました。
・『海辺のカフカ』のときは、だから紙を薄くしたんですね。そうしたら今度は通勤電車で読んでいると扇風機でパラパラめくれちゃうって苦情が来ました(笑)。いろんな文句がやっぱりあるもんでね。なかなかすべての人を満足させることはできない。
・僕は自分の本の書評ってまず読まないです。
・作家はあまり自作について語るべきではない
・新刊が出てから数ヶ月は、その本については何も語らないということも、僕のひとつの基本方針になっている。(中略)白紙の状態で読者に本を読んでいただきたい。そして自由にそれぞれの意見や感想を抱いてもらいたい。
●書籍『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』より
村上 春樹 著
文藝春秋 (2010年9月初版)
※amazonで詳細を見る
Copyright (C) 2003-2024 eパートナー All rights reserved.