このページは、書籍『電子書籍奮戦記』(萩野 正昭 著)から、良かったこと、共感したこと、気づいたことなどを取り上げ紹介しています。
・世界一のオンライン書店アマゾンのKindleで読める本は70万冊以上です。新聞や雑誌を読むこともできます。
・NHK放送文化調査研究所「国民生活時間調査」)、かつてはテレビのせいで本を読まなくなったと騒がれていましたが、その「テレビ視聴時間」も減少傾向にあります(『平成22年版情報通信白書』)。そのぶんパソコンや携帯端末機器の利用時間が増えているのです。
・日本語版エキスパンドブック発刊への発言 1993年12月
世界には、あなたの本を読みたい人が必ずいる
・やがて言葉を読むというスタイルにも大きな変化がおとずれることでしょう。最も期待するのはどんな機械を使うかということではなく「書く」ことと「読む」ことの間にある隔たりが限りなく近づいていくことです。
・『CDROM版新潮社文庫の100冊』(新潮社)です。企画したのは当時、新潮社メディア室にいた村瀬拓男(中略)2006年から弁護士に転向、電子出版にかかわる法律整備に積極的に取り組んでいます(村瀬拓男 『電子書籍の真実』 マイコミ新書 参照)
・「映画と本が一緒になる」という課題を追いかけているうち、私の仕事の多くは、本にかかわることになっていました。もちろん、本そのものをつくるわけではなく、限りなく本に似せた「コンピュータで読む本」を考えていたのです。
・青空文庫のファイルをつくっている人たちは、昼間は会社で働いて、夜、家に帰ってきて、本をスキャナーで読み取り、文字認識ソフトでテキスト化して、校正する
・「電子書店パピレス」は、書店と名乗ってはいますが、作家と契約して電子書籍を出版していましたから、実質的には出版社でした。出版権と電子化権は別というのがパプレス側の理屈で、作家から作品の電子化権を取得しようと動き回ったのです。
・大金で相手の心を浮き上がらせた上で、小出しにいろんなものを出させて、ほしい物を取れるだけ取った段階で買収計画を中止にする。これが米国式企業買収の手としてあるのだというのです。
・ハードウェアに過剰な期待をするのはそもそも間違いなんだと考えるようになりました。ハードウェアというものは、移ろっていく、そういう宿命を持たざるを得ないし、どんなにいい製品が出てきたとしても、それが5年、10年と続くなんてことはあり得ません。しかし、本は残っていかなければなりません。
・あるとき彼らにこんなことを言われました。「視覚障碍者にとって、本は本ではありません。しかし電子書籍は、私たちにとって本なんです」
目の見えない彼らにとって、紙の本というのは、ぺらぺらの紙が束ねられたもの以外の何者でもありません。ところが電子書籍なら、コンピュータの読み上げ機能によって、音として聞くことができる。そのときはじめて彼らは「本」を読むことができるというわけです。
「電子書籍は本でない」といわれることはよくありましたが、「電子書籍こそ本である」と言われたことはありませんでした。(中略)
彼らがよく言うのは、俳優による朗読CDのようなものは嫌だというのです。自分の感情を込めたいのだから、人に情感たっぷりに読まれたくないのです。スクリーンリーダーによる読み上げは、機械音ですから読み方に抑揚がなく、非常に速い。彼らは、ゆっくり読まれるとそれだけでいらいらしてくるそうです。
・視覚障碍者への読者支援は、出版のデジタル化において忘れてはならないことの一つです。
・私がこれまでにやってきたことを一言で言えば、電子出版によって、紙の本に何かを付け加えることです。目標の一つは、「映画と本が一緒になる」ことでした。「読むように見る、見るように読む」を実現するのはどうすればよいのかを追求してきたつもりです。
・紙の本の場合は、印刷コストがかかるので、好きなだけ写真や挿し絵を入れることはできません。(中略)それが電子書籍ならできるわけです。
・出版とは「パブリッシング」の訳です。パブリッシングの元々の意味は、私的な意見を、表に立って堂々と発表することです。意見を発表するのに、紙に書かれた言葉か、電子的な文書かは問題ではありません。出版社は、紙の本を作るから出版社なのではなく、出版本来の意味で、出版行為を行うからこそ、出版社なのです。
●書籍『電子書籍奮戦記』より
萩野 正昭 著
新潮社 (2010年11月初版)
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