このページは、書籍『ことばの由来』(堀井 令以知 著)から、良かったこと、共感したこと、気づいたことなどを取り上げ紹介しています。
・どっこいしょ(中略)
ドッコイはドコエ(何処へ)という相撲の掛け声に由来する。江戸時代、村相撲を取る力士は、相手の気勢をそらし、相手のかかってくるのをからかって、「どこへ行くのか」「どんな手にでるのか」という気持ちでドコエと掛け声を発した。(中略)
ドッコイは強めて、ドッコイショを付けるようになったのは多分、明治以後のことで、相手がいない一人だけのときでも力を入れるときには相手を意識して、「どっこいしょ」というようになった。
「ショ」はヨイショ、コラショの「ショ」と同じく掛け声である。民謡などの噺しことばでも、ドッコイショとショを添えていう。
・当たり前
当たり前は「当然」という語がもとになっている。「当然」は江戸時代には「当前」とも書いた。「当前」を訓読するとアタリマエとなるから、アタリマエというようになって広まった。
・無鉄砲(中略)
これは当て字で、実は無鉄砲は「無点法」ということばに由来する。無点法の「点」とは、漢文を日本語の文法に当てて、いわゆる読み下し文で読むときの訓点の点であり、返り点の点のことである。したがって無点というのは、漢文を読むときに返り点や送り仮名が付いていないことである。
・けんもほろろ
ケン・ホロロはともに雉(きじ)の鳴き声に由来する。雉が鳴く声をケンケンホロホロと聞いたのである。それが、どうも無愛想に聞こえるものだから、取り付く島もないこと、人から相談されてもぴしゃりと断るという意味になった。
・へなちょこ(中略)
『大納言』によると、明治十四・十五年ごろ、新聞記者の野崎左文が用いたのが始まりという。もとは楽焼の杯、すなわち猪口(ちょこ)の名からというのがおもしろい。
・てんやわんや
てんやわんやとは、忙しく各人勝手に振る舞い騒ぐことをいう。テンヤは「手手(てんで)に」の意である。ワンヤは、わいわい騒ぐさまをいう。「てんやわんやの大騒ぎ」というように使う。
・ほそく笑む(中略)
ホクソとおうのは北叟(ほくそう)、北に住む老人ということで、「塞翁が馬」の故事で有名な塞翁のこと。(中略)
塞翁が馬、北叟の馬が幸運をもたらしたとき、してやったりという少しの笑い、控えめの笑いをもらしただろうということからホソクエムという語ができた。エムとは笑顔をすることである。
・「おめでとう」のメデタイは「祝うべきである」という意味である。もとは、贈り物をいただいたときに、それを額に押し当ててメデタイといったり、メデトーゴザルといったものである。めでたいは好ましい、結構な、平穏なさまを互いに批評し合う形容詞であった。
・しあさってを明明後日の意味で使用する西日本では、しあさっての翌日をゴアサッテという「五アサッテ」と考えた
・朝っぱら(中略)
朝っぱらのもとはアサハラ(朝腹)といい、朝食前にすきっ腹、空腹という意味であった。室町時代のことばを収めた『日葡辞書』には、アサハラは「朝何も食べないでいる人の胃」として出ている。
・たそがれ(中略)
タソカレは「誰かあの人は」の意味となる。上代から室町時代ごろまではタソカレと清音でいうのがふつうであった。
・クシャミを一つすると人に褒められ、二つすると人に笑われ、三つすると人にそしられ、四つすれば風邪をひくなどと俗にいう。
・「お前」は平安時代には神仏や貴人の「御前」という意味で用い、それが代名詞として貴人に対する尊敬語になり男女とも使用していた。江戸時代の初めごろまでは目上の人にいう語であったが、文化・文政ごろから親愛語になり、同輩や目下の者にもいうようになった。
また「貴様」ということばをさかのぼってみれば、中世では「貴」の字の示すように、かなりの敬意を持つ語であり、江戸時代前後には「あなたさま」の意味で女性語しても使われた。庶民のことばとして使用されるようになって、貴様は敬意を失った。
●書籍『ことばの由来』より
堀井 令以知 著
岩波書店 (2005年3月初版)
※amazonで詳細を見る
Copyright (C) 2003-2024 eパートナー All rights reserved.