このページは、書籍『だから、僕は、書く。』(佐野 真一 著)から、良かったこと、共感したこと、気づいたことなどを取り上げ紹介しています。
・ノンフィクションとはつまり、自分の想像力において物を書いていく小説というジャンルと、いわば対極にある文芸だと思っていいと思います。
・出版不況中(中略)なぜ、こういう状況が起きてきたのか。これはたんに、いまの出版流通の目づまりであるかとか、そういうことだけが問題ではなく、我々はいま文化的な革命期にさしかかっているのではないかという観点から、『だれが「本」を殺すのか』(プレジデント社 二〇〇一年二月刊)という作品を書いたわけです。
・スーパーのダイエーをテーマに『カリスマ』という本を書きました。この取材には、最初から数えれば、二十五年かかっています。取材した関係者は千人にのぼると思います。(中略)ノンフィクションには、そうしたきわめて面倒な手続きが必要なのです。
・E・H・カーというたんへん有名な歴史学者がいます。岩波新書で『歴史とは何か』という本が出ています(中略)そのE・H・カーが、「歴史とは何か」という問いに答えて「それが現代の光を過去に当て、過去の光を現代で見ることだ」という意味のことをいっています。
・新聞や雑誌などで、「最も感動した本は」、などというアンケートに答えさせられることもよくあります。こういう質問が、実はいちばん困るんです。
・僕は活字中毒ですので、活字がないとトイレに入れないんです。本を持って入らないで、困って、財布から千円札や一万円札を取り出して、夏目漱石や福沢諭吉の顔を見ながら、紙幣に書いてある字を読まないといられないくらいの活字中毒です
・教科書はあくまで基礎教養です。それで何か分かったつもりになってはいけません。教科書はむしろ、疑問を引き出すテキストととらえた方がいいでしょう。
・いい本とは何か。僕は「無我夢中」になれる本が、最もいい本だと思っています。(中略)心の中にグサッと突き刺さってくる本は、僕に言わせればすべてエンターテインメントであり、いい本です。
・大事なことは自分なりの疑問を持つことです。疑問を持ったとき、それに答える本なり人なりが必ず向こうの方からあなたを手招きします。
・エンターテインメントというのは、暇つぶしであるとか娯楽であるのではなくて、自分の中に深く突き刺さる世界なんです。
・明確な意見なりメッセージなりを特定の読者に向かって伝えることができない。いわば大きい言説で、誰にも反論できないつくり方になっている。だから、新聞記事から感動を覚えるということはめったにないのです。周りからの評価などをまったく気にせず、まっすぐそのおじいさんなりおばあさんなりの言葉を伝えることが重要です。
・絵文字ですべて表現する人もいるという。しかし、人間の複雑な感情をそんな絵文字で表現していいものだろうか。そんなことを続けていると、感情そのものもすごく薄っぺらなものになっていくのではないか。
・宮本常一の取材の基本が、「あるく、みる、きく」というきわめて基本的な動作にあった
・樹を見ろ。いかに大きな幹であっても、枝葉がそれを支えている。その枝葉を忘れて、幹だけを論じてはいけない。その枝葉の中に大切なものがある。学問や研究はあくまで民衆や庶民の生活を土台に築きあげるものだ
・「あるく、みる、きく」というのは、取材の最も重要なポイントです。
・たくさんの本を読んだ人が偉いわけではありません。要は、一冊の本からどれだけ想像力を喚起し、どんな数珠をつくれるかが、その人の読書力ということになります。(中略)そのためには、やはりできるだけたくさんの本を読んだ方がいい。
・たくさんの本を読みそこで得た「知識」をひけらかす人は、僕の経験からいって大した人ではありません。本を読むことによって自分の脳髄を鍛え、自分だけの考え、僕流にいえば「知恵」ですが、それを持てる人こそ、本当の読書家です。
・若いときどれだけ感動する本を読むかで、その人の人生は決まるとさえ、僕は思っています。
・言葉で書くというのは、記号の中の石を割るような作業なんです。言葉というのは、割らないと出てこない。
●書籍『だから、僕は、書く。』より
佐野 真一 著
平凡社 (2003年3月初版)
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