このページは、書籍『学問のすゝめ 福沢諭吉 2011年7月 100分 de 名著』(齋藤 孝 著)から、良かったこと、共感したこと、気づいたことなどを取り上げ紹介しています。
・活用なき学問は無学に等し(『学問のすゝめ』第十二編)
学問を自立の手段とし、実用に生かすこと――――――
それは、当時の日本において画期的な発想転換だった。
・学問で人生を切りひらけ(中略)
福沢は人間の平等を説いたわけではありません、そうではなく、人間は学問をするかしないかによって大きく差がつく。だから、みんな頑張って精を出せ、と言ったのです。(中略)
人の富貴(地位や財産)はその人の働き次第で決まるのだと、むしろキビシイ競争原理のほうを説いたのです。
・中津藩の江戸築地鉄砲洲の中屋敷で藩士のための蘭学塾が開かれることになり、福沢はその教師として呼ばれます。これが「慶応義塾」の祖形です。一八五八年(安政五年)、二十三才のときでした。
・じつは、明治新政府ができたとき、福沢にも「政府で働いてくれ」という声がかかりました。しかし、彼はそれを断り、自分はあくまでも「一私人」としてやっていくと宣言しました。(中略)
なんでもかんでも「官頼み」はよくない、新時代の国民は自分の足で立っていかねばならないのだ、それこそ真に自立した人間なのだという強烈なポリシーがあったのです。
・一八八二年(明治十五年)には新聞「時事新報」を創刊
・福沢諭吉による「日本初」(中略)
4 日本初の授業料制度
福沢は金額を決め、生徒全員から平等に集めた。「授業料」という言葉を作ったのも福沢である。(中略)
7 日本初の言葉(中略)
著者『西洋旅案内』では近代的な保険制度を初めて日本に紹介。福沢自身が日本初の保険加入者であった。
・「避難三原則」(中略)
それは「1.想定にとらわれない」「2.状況下で最善を尽くす」「3.率先避難者になる」です。
・「反対するなら代案を出せ」(中略)人を評するほどの考えがあるのならば、自分でやってみろ、不平不満があるなら自分で試みろというわけです。
・人生を「棚卸し」せよ(中略)
人間というのはよかれと思っていろいろなことをしようとしても、思いのほか失敗や愚行を繰り返すものものである。これを防ぐためには、一般にあまり知られていないよい方法がある。それは、商人が在庫を一斉点検して先々の方針を立てる「棚卸し」の方法を応用することだ――――――と福沢は言っています。(中略)
棚卸しとは、何が売れるのか、何が売れないのか、何を仕入れなければならないのか、何が不要であるのかを逐一調べることです。これをやると、自分がなすべきこととなさざるべきことがはっきりするわけです。
●書籍『学問のすゝめ 福沢諭吉 2011年7月 100分 de 名著』より
齋藤 孝 著
NHK出版 (2011年6月初版)
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