このページは、書籍『「本屋」は死なない』(石橋 毅史 著、新潮社 刊)から、良かったこと、共感したこと、気づいたことなどを取り上げ紹介しています。
・原田真弓は、東京・雑司が谷にある売場面積五坪の本屋、ひぐらし文庫の店主である。(中略)
・ささやかな退職金ではじめられる本屋があったんっていいんじゃないかなって思ったんですよ。退職金のない会社もあるから、そういう人は大変だけど。でも十年、二十年と書店でやってきた人が小さな店のひとつも持てない今の状況って、つまらないじゃないですか。
※原田真弓氏談
・大型書店には毎日、大量の新刊が入荷する。そのひとつひとつを売場のどこに並べるかを決めるには、ろくに読みもしないのに内容をわかっているという特殊な能力が必要になる。
・リブロからも、今泉正光、中村文孝、田口久美子など業界内外に名を知られる書店員が現れ
・いちばんは、返す判断ですね。棚は、入れるよりも抜く作業が重要なのですよ。いまの、商品量の多い時代の発想だと思います
※原田真弓氏談
・------なんとなく残しちゃった本が多い棚は弱い?
「売れないのに明確な理由もなく残している本があると、どんどんダメになります。わざと、ダメな本を置くこともあるんですよ。和食の作り方を知りたいと思ってお店に来た人は、いくつかの本を比較して買ってゆくじゃないですか」
※原田真弓氏談
・並ぶ本は一冊一冊がたまたま隣りあっているのではなく、連なった集合体として存在する。
・最近はそうした棚の演出が見られなくなってきている。(中略)書店の大型化で一冊一冊の存在感が薄れたこと、本が多すぎて買う側も売る側も選択が難しくなったこと、アマゾンなどネット通販への対抗、この本だけは埋もれさせたくないという書店員の思い、などを背景に増えた。
・取次からの入金額は、取次へ出荷した金額から返品されてきたぶんを差し引いたものになるから、出版社はその引き算によって赤字に陥ることのないよう、また多くの本を送りだす。需要を無視した送品と、そのせいで増大する返品のいたちごっとを繰り返すことで、自転車操業的に経営を維持してゆくようになった。
書店のほうは、出版社とは逆のかたちでこの慣習を利用する。取次への支払いは仕入分から返品分を差し引いたものになるから、支払い金額を減らすことを目的にした返品を積極的に行う。
「あの本とこの本は売れないから返す」のではなく、「今回は五百万円ぶん返せ」と社長が社員に指示する場面を、部外者である僕が見たことさえある。それほど当たり前のことだった。
出版社と書店の間で本とカネの行き来を仕切っている取次にとっては、これがあまりに横行すると無駄なコストがかさむ。
・近年は、取次側が書店の販売データや顧客の購買データをもとにして出版社に本の企画を提案し、その商品については取次が責任をもってはじめから大量部数を仕入れ、書店に配本することも増えている。
・------出店場所を決めるとき、なにを条件にしましたか。
「商店街でやることと、近所にいい古本屋があること。いろんなお店のある地域で、同業者と棲み分けをしながらやっていくことが大事だと思いました。
※原田真弓氏談
・新風舎の経営が傾いた要因は、詐欺的商法だという批判から客を失ったせいではなく、同業他社とのダンピング競争に陥って収益のバランスを崩し、自転車操業の陥ったためである。(中略)つまり、新風舎の倒産は、単純な経営戦略・戦術の失策と考えるほうが自然なのである。
・井原万里子が繰り返し語っていたのは「自分のやっていることは商売なのか、地域のためのボランティアなのか」というものだった。井原は店を商売として成立させなくてはならないが、地域の人びとは井原をそういう存在として見ていないときがある。地元で本に関連する活動が計画されると、相談をされ、協力を求められる。もちろん協力するが、ボランティアを当然のように求める相手とは一線を引く必要もある。(中略)本屋は商売か?
・「品揃えは全部、本部が決める。これ、そんな店は個人的に嫌だというレベルじゃなくて、単純に間違っているんだよ。お客に対して、こんなに失礼なことはない。地域や客層によって置くべき本は違う。一関という土地を知らない本部が品揃えを決めても、いい本屋にならない」(中略)
「現場が、本部の指示でしか動けない。午前中は本部とのやり取りに時間を取られて、新刊を並べる作業を後回しにしていた。お客のほうを向いていないのさ。事務所には監視カメラがついていて、本部でリアルタイムに見られるようになっている。店長の机には、椅子がない」
------えっ?
「業務時間に座るな、ということらしい。(中略)」
元さわや書店・伊藤清彦氏談
・「本の家」は、北尾トロと、東京・西荻窪で古書店のハートランドを経営していた斉木博司らが高遠に開いたブックカフェで、“本の町”構想の拠点でもある。
・前任の館長がすごい人だったらしい。いまは福島県南相馬市の図書館に引き抜かれている。その南相馬市を見に行ったら、やっぱり図書館にもバケモンはいるんだなと思った。すごい図書館、というより本屋だね!あれは。書店員こそ見に行くべきだよ。店づくり、棚づくりのヒントが、あっちこっちにあった。(中略)そのひととは早川光彦といい、肩書は館長補佐だった。
元さわや書店・伊藤清彦氏談
・幻冬舎は書店にとっては少々厄介な出版社で、ある時期にどの本を集中的に売り込んでいくかは、幻冬舎が自らコントロールしてきた面がある。言い換えると、書店側が「この本を売りたい」と思っても、それが幻冬舎の方針に合わなければ望んだ部数を仕入れられることが多い。大手の出版社はどこも似たようなものだといえる
・松本(大介)もまた、“書店発ベストセラー”の火付け役となったことがある。一九八六年刊行の外山滋比古著『思考の整理学』(ちくま文庫)の再ブームだ。
・東京都立川市のあるオリオン書房の白川浩介
・田口幹人が当時を振り返る。
・店名も、奈良(敏行)の言葉からとった。《奈良さんは、「いまの書店は、“普通”を失いつつある。“普通”とは何かというと、それは“往来にある”ということじゃないか。人々が行き交う、往来するところに普通に存在する書店、そういうものが消えつつある」と話していた。》
・昔、筑摩書房が『どすこい通信』という書店向けのチラシで、書店と濃密なメッセージのやり取りをしてくれた。(中略)大きな変化だったなと印象的に覚えていることがあるんです。お店単位に向けて発信するメディアだったのが、ある時期から、売場担当者に向けた言葉に変わったんですよ。
・本屋の実力は文庫で決まる、と伊藤清彦が言っていたのを思い出す。文庫の多くは単行本の再刊であり、(中略)単行本の時点でどれだけ呼んでいたか、売場での動きを見ていたかが問われるため、読書量の豊富な者、本をよく知っている者が担当すると文庫棚はよくなる。エース級のスタッフが担当すべきであり、エースの実力が一発でわかるのが文庫棚なのだ、という。
●書籍『「本屋」は死なない』より
石橋 毅史 著
新潮社 (2011年10月初版)
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