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中村 文孝 氏 書籍『リブロが本屋であったころ』(論創社 刊)より

このページは、書籍『リブロが本屋であったころ』(中村 文孝 著、論創社 刊)から、良かったこと、共感したこと、気づいたことなどを取り上げ紹介しています。


・一九七六(昭和五十一)年に出された『須原屋の百年』という社史を見るとよくわかる。埼玉県の教科書出版にも携わり、地方の屈指の老舗書店だった。

・『平安堂八十年の歩み』(平安堂)は書店の社史としては本当に赤裸々で、リアルな書店像を提出している


・駅の中といえば、吉祥寺の弘栄堂は鉄道弘済会の子会社で、六〇年末の出店だったけど、ブックフェアの先駆けだったし、労働組合を結成したことでもよく知られていた。

------その組合の記録はそれこそ渡辺さんの北宋社から大井恒行の『本屋戦国記』として刊行されている。


・棚幅で、それまでの書棚は間口が経済サイズの九〇〇ミリだった。これは棚の前に立つとどうしても眼球を動かさないとその段が全部みられない。それで一目で視界に入る長さを割り出して幅をきめた。それが七七五ミリだった。以後それを基本にして木工と金物の二種類を売りにだした。金物の製作は名古屋の棚橋工業というところで、ここは金物の成形は特にうまかった。


・最初に新規にどこかに出店する場合、こういう店をつくるというコンセプトプラン、それからその地域のマーケットに対するアプローチプラン、それを踏まえたいわゆる数値プランが三点セットで要求させる。


・書店戦略(中略)

新たな出店に対して、そこに店長になる社員によく言っていたのは、「最初の年は入店客数を意識しろ」と。つまりその店にどれだけの客が入ってくるかを意識し、その入店客数を増やすことに専念しろと。二年目になったら、今度は購買比率を上げることを考えろといった。つまり来店客数のうちの何人が買ってくれるかだ大事だと。


そして三年目に入ったら、購買冊数、つまり買ってくれた客が何冊買うかが大切になる。これは三年目の店がやるべきことは品揃えだという意味です。(中略)


四年目に入ったら、もう一度客数のところに戻る。これを方法論として順番に繰り返していかないと、売上は伸びない。


・客の九割は目的買いではないし、衝動買いだ。だから、見た目が大事。売り場はいつもきれいに。それから本を読ませたら売れないともいった。読んだ気にさせることは必要だけど、読ませたら売れない、読ませていいのは児童書だけだと。


・小参と中参の学参は通路を替え、必ず背中合わせにしろというのは商品構成の鉄則だ。


・書店は取次や出版社の販売代行者になっては駄目だ。ならなくてはいけないのは顧客の購入代行者になることだ。そうならないと、書店としては失格だし、客の立場に居続けることは最低限のモラルだよ


・特に委託制を維持してきたことが、本屋を駄目にした最大の原因で、自分の意志で仕入れと販売を行うという当たり前のことを阻害する主要因だったのです。


●書籍『リブロが本屋であったころ』より
中村 文孝 著
論創社 (2011年5月初版)
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