このページは、書籍『花森安治の編集』(唐沢 平吉 著、晶文社 刊)から、良かったこと、共感したこと、気づいたことなどを取り上げ紹介しています。
・花森安治、池島信平、扇谷正造の三人は、〈雑誌ジャーナリズムの三羽ガラス〉と、もてはやされました。三人はライバルであり、大へん仲がよかった。
・ぼくからきみたちにいっておきたいことがひとつある。それは一年間、なぜと訊かないでほしいということだ。(中略)そんな質問にいちいち答えていたら、こっちはしごとをしている間がない。(中略)なぜと疑問におもったら、じぶんで考えてほしい。一年もすればわかるだろう。
花森安治氏談
・規則がない、ということは、めいめいが、じぶんで責任をもつということである。
・『暮らしの手帖』の「商品テスト」がどのようなものか(中略)
炊飯器のテストでは、ごはんをなんども炊く。じっさいに使うやり方でなければ意味はない。テストはすべて部員がする。(中略)
商品テストは、なにをテストするにせよ、一台だけテストすることはありません。かならず二台以上、暮らしの手帖社が代金を払って購入しています。一台はデパートで、もう一台は町の電気店で買ってきます。(中略)
二台買う理由は、製品にバラツキがあったからです。おなじメーカーのおなじ製品なら、その性能に差はないようですが、じっさいにはバラツキがないよりも、あたりハズレがあるのがふつうでした。(中略)
予備テストは、購入した製品があきらかな欠陥品ではないことをたしかめ、大きな性能のバラツキがないかをしらべるために欠かせないテストです。
・ぼくが食事にいこうとさそったら、万難を排してついてこい。メシを食いながら、ぼくからなんでも聞けるじゃないか。せっかくのチャンスがわからないのか
花森安治氏談
・酒屋にかぎらず、町内の店とのつきあいを、暮らしの手帖社はだいじにしていました。(中略)町内の商店のオヤジさんやオカミさんとなじみになっていれば、商品や流通について、身近な情報が得られます。
・病後のからだで毎日、少なくとも十二時間は研究室でしごとをしていました。それが花森安治の一日でした。疲労困憊の一日でも、たとえきげんが悪かった一日でも、こどものようにバイバイをしてくれました。
「あしたもまた、元気でしごとしよう」
-------親方の、それは無言のエールだったとおもいます。
・小さな煮干しの一尾一尾、まず頭と腹ワタをとります。とらないと、どんなに上等な煮干しでも、ダシがにがくなってしまいます。頭と腹ワタをとれば、つぎは割きます。こうしないと、煮干しのうまみをダシとしてじゅうぶんに出せません。
・『暮らしの手帖』とえいえば、安くてよい商品だけを推薦するとおもっているひとがいます。しかし、(中略)高いものでも、よいものはよいと書いていました。
・原稿を読んで、花森さんがすぐに朱筆(赤のサインペン)を手にするようなら、件(※くだん)の被告はホッと胸をなでおろします。(中略)朱筆を入れてなおせる原稿であれば及第点を意味したからです。ところが朱筆をとらず、無言で机の上でポンポンと原稿をタテにヨコにたばねなおしたら、部屋の空気は一転、にわかにかき曇りました。
・二カ月に一回の編集会議-------二日間の会議は、一日めを買物会議、二日めを本文編集会議とよんで区別していました。(中略)
この会議は、じぶんが提出したプランを親方がどのように評価するか、その裁定の基準、根拠、必然、考え方といったものを弟子たちが学ぶ機会でした。(中略)カンカン諤々やりあう会議ではありません。会して議さず、ツルの一声まちという光景です。
・僕は、編集には“独裁”が必要だと思っている。もちろん、プランは、みんなで出し合うのだが、プランが定まってから表現までが、“独裁”がなければ、雑誌に個性がでてこない。チーズはチーズくさいから好かれるのである。
花森安治氏談
・『暮らしの手帖』は、すべてにおいて実証することを第一と考えていました。
・むつかしい漢字をつかえば、文章が高級にでもなるとおもったら、大まちがいだ。だれにでもわかる字を書け。バカには『暮らしの手帖』の文章は書けんのだ。
花森安治氏談
・教えてやろう、というようなニオイのする文章がいちばんイヤラシイ。読者とおなじ眼線に立って、文章を書け
花森安治氏談
・文章をやさしく、わかりやすく書くコツは、ひとに話すように書くことだ。眼で見なくてはわからないようなことばは、できるだけ使うな
花森安治氏談
・花森安治の文章には、もう一つ特長があります。文章のフレーズが短いこと、つまり簡潔さです。それが『暮らしの手帖』のわかりやすさにつながっています。
・文章は、そげばそぐほど、生きてくる
花森安治氏談
・文章のしめくくり方としての「のである」は、「である」に「の」が一字くっつけただけのようですが、多田道太郎さんが指摘されているように、この「の」がなかなかの曲者です。「の」がつくと、文章に「おしえてやろう」というニオイがただよいます。エラそうな感じがします。
さらに「な」をつけて「なのである」とすれば、教育指導的なニオイはもっと強まります。
・編集部員には、自前でそろえなくてはならない道具が、二つありました。カメラと小型テープレコーダーです。
・写真をうまくとるために、いちばん勉強になるのは、映画をみることだ。たとえば小津安二郎の映画をやっていたら、内容なんていいからカメラアングルだけ注意して見ろ。(中略)構図全体を見るんだ。
花森安治氏談
・辞典をひけば、装釘には「釘」を含めて四つの表記があります。※参考:装丁/装訂/装釘/装幀
辞典はいずれも「装訂」を正しい表記としています。つまり訂が正字なのですが、花森安治にいわせると、どうしても釘にしなくては、スジがとおらないのでした。
「幀という字の本来の意味は掛け物だ。掛け物を仕立てることを装幀という。本は掛け物ではない。訂という字はあやまりを正すという意味だ。ページが抜け落ちていたり乱れているのを落丁乱丁というが、それを正しくするだけなら装訂でいい。しかし、本の内容にふさわしい表紙を描き、扉をつけて、きちんと体裁をととのえるは装訂ではない。作った人間が釘でしっかりとめなくてはいけない。書物はことばで作られた建築なんだ。だから装釘でなくては魂がこもらないんだ。装丁など論外だ。ことばや文書にいのちをかける人間がつかう字ではない。本を大切に考えるなら、釘の字ひとつおろそかにしてはいけない」
・靴をはきやすいように、敷居から少しはなし、靴の感覚もあけました。(中略)
靴はそろえておくものですが、はくときはべつです。敷居に靴のかかとをつけ、そろえて出されては、はきにくいものです。ちょっとした気くばりが、おたがいの気持ちをかよわせます。
●書籍『花森安治の編集室』より
唐沢 平吉 著
晶文社 (1997年9月初版)
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