このページは、書籍『日本社会で生きるということ』(阿部 謹也 著、朝日新聞社 刊)から、良かったこと、共感したこと、気づいたことなどを取り上げ紹介しています。
・ヨーロッパであれば、交通事故の死傷者であろうと名前は出さない。年齢と性別ぐらいですね。どこどこの角で、時速何キロで走っていた車が衝突して、三人の死傷者が出て、一人は死亡した、と。あと二人はこれこれ、と障害の程度が出ます。(中略)
これはなぜかと聞けば、もちろんプライバシーの問題(中略)
片足が取れてしまったとか、将来「植物人間」になることが確かだということを、なぜ公に報告しなければならないのか、と。
・日本の母親は添い寝をしますが、ヨーロッパでは絶対にしません。例えば、乳母車に乗せて昼間二時間放っておく。(中略)人間が孤独だということは最初からわかっているはずだということなんです。(中略)
ヨーロッパでは親と子がはっきり分離していることがあるのです。
・「個人的にはこれが好きなんですが」という言葉を平気で使います。「個人的に好きだと言うのなら、では公的に好きなものがあるのですか」と聞きたくなります。つまり、「個人的には好きだけど」ということは、本当は公的にはこれが好きだと言えない立場にあるということです。
・大佛次郎を「だいぶつじろう」と読めば、それだけで教養がないと定評できてしまう。
※参考:大佛次郎と書いて「おさらぎ じろう」と読む。
・教養とは一人ひとりが社会とどのような関係を結んでいるかを常に自覚して行動している状態を言うのであって、知識ではないのです。
・私の専門はヨーロッパの中世、特にドイツの歴史であります
・結婚式から帰ってきて、新婚夫婦が家に入る時に夫が妻を抱きあげることが誤解されていて、愛情の表現として抱いていると思われるかもしれませんがそうではなく、あれは本来は敷居の下に神がいるので敷居の下にいる神をよそ者に踏ませないために抱きあげたのです。敷居を超えた所で下ろすわけです。
・キリスト教世界は一神教ですけれども、その一神教はある時期まで多神教的な形をとるようになります。多神教とはどういうことかというと、本質的には一神教なんですが、様々な神々を抱えこんでいったのです。これが聖人たちですね。
・愛情なんてことは口にしない方がよろしいのです。愛情という言葉によって表現されるものの多くは支配であったり、あるいは様々な教え諭すという名目で基本的には支配である場合が多い。それよりももっと大事なことは親が子供を一個の人間として認めること、だと思うのです。
●書籍『日本社会で生きるということ』より
阿部 謹也 著
朝日新聞社 (1999年3月初版)
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