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橋口 侯之介 氏 書籍『江戸の本屋と本づくり~続 和本入門』(平凡社 刊)より

このページは、書籍『江戸の本屋と本づくり~続 和本入門』(橋口 侯之介 著、平凡社 刊)から、良かったこと、共感したこと、気づいたことなどを取り上げ紹介しています。


・たんに書物はつくられて、読まれるだけでなく、さらに「伝える」「残す」「集める」という行為をともなう複合的な側面をもっていたことを痛感させられるのである。


・江戸時代の本屋の仕事は本を出版するだけはなかった。自店の本を卸売販売しながら、他店の出版物を含めた新刊書の小売のほか、古本の売買から貸本の兼業、板木の売買までする、いわば書籍の総合商社的存在だった。今日でいう版元、取次、小売店、古書店すべてを一軒でおこなっていたのだ。だから、江戸の古本屋というときは、当時の本屋の一営業部門を指すのである。


・日本人にとって、書物というものは、読み終わったら捨ててしまう性質のものではない、書物は保存しておく、というのが平安時代以来の伝統である。和本の世界ではそのために、千年残すことができる紙の材質や装訂の工夫をこらしてきた。と同時に、一冊の本を多数の人が順に利用することも、当然のこととされてきた。


・今でも東京・神田神保町の古書店街は店先は北向きか東向きになるように並んでいる。できるだけ日の当らない方向に店先を向けるのが鉄則である。とくに西日をきらう。


・江戸時代の本屋というのは、現代の新刊書店と古書店を合わせたような店構えをしていたのだ。古書と新刊書が商業的に明確に分離したのは明治以降のことで、それまではこのような状況が基本的な様態だったのである。したがって、江戸の古本屋というときは、単独の古書店をいうのではなく、江戸の本屋そのものをもっと幅広く見るということに他ならない。


・書物屋だけでなく薬屋も兼業していて、家伝の婦人薬も売っていたところがおもしろい。江戸の本屋が薬屋を兼ねていたのは、本のうしろに薬の広告が載っているのをしばしば見かけることでわかる。なぜか本と薬は相性がよかったらしい。


・当時、書物の売り値は他の商品と比較して高いものだったが、古本として買い取るときも安くなかったことがよくわかった。


・古い史料を見ていくと、その用語もさることながら、仕組みや考えかたが現存する古本業界に色濃く残っていることを知る。とりわけ『大坂本屋仲間記録』は古本屋にとっても豊かな史料集である。

※参考:『大坂本屋仲間記録〈第1巻〉出勤帳』
野間 光辰 著
中之島図書館 編集
大阪府立中之島図書館 (1975年3月初版)
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・江戸時代の書物成立数(中略)

江戸時代二百六十六年間に、確実に右肩上がりで増大したことがわかる。西暦一六〇〇年代の前半は年間百点しかなかったものが、一八五〇年代になると千を超す年が出てくる。二百年間に十倍である。(中略)十八世紀半ばで、年間五百のラインを越えている。

※補足:成立年というのは、著書された時期のことで、必ずしも本として刊行された年とは違うし、出版されない手書きの写本も含まれている。


・地方で出版された本は、それぞれの都市の本屋がかかわっていたといっても、江戸・京都・大坂の三都の本屋と連携していないと流通できなかった(寛政以後は三都に加えて名古屋も入る)。


・個人なり組織が全額出資するか、パトロンをつけて本を出すことも多いが、刊行希望者が本屋に費用を出して出版を依頼することもよくあった。一部だけを負担するか、ほとんどすべてを持つかなど程度の差はあるが、この費用のことを「入銀(にゅうぎん)」といった。またそうしてできた本を入銀本ともいう。


・本の値段を知る(中略)

『今様職人尽歌合』が二冊セットで銀五匁というのは、まさに大工の日当分ということになり、およそ一万六千円である。けっして安いものではない。


・江戸時代の書物の平均価格


A 天和板『書籍目録』

1点あたりの価格(匁)    7.51
1匁=3200円として1点あたりの価格(円)   24,032
1点あたりの構成冊数    4.34
1冊あたりの価格(匁)    1.73
1匁=3200円として1冊あたりの価格(円)    5,537


B 正徳板『書籍目録』

1点あたりの価格(匁)    8.77
1匁=3200円として1点あたりの価格(円)   28,064
1点あたりの構成冊数    4.85
1冊あたりの価格(匁)    1.81
1匁=3200円として1冊あたりの価格(円)    5,792

C 本居宣長購求書籍

1点あたりの価格(匁)    8.5
1匁=3200円として1点あたりの価格(円)   27,200
1点あたりの構成冊数    4.67
1冊あたりの価格(匁)    1.82
1匁=3200円として1冊あたりの価格(円)    5,824


・江戸時代は元原稿を草稿といっており、それを扱いやすいように製本する。かんたんな表紙をつけ、袋綴じにして糸がかりするのである。その段階のものを種本(たねほん)とか稿本(こうほん)という。まぎらわしいが、これを「写本」ともいっていた。


・筆工に払う値段だが、宗政五十緒(むねまさ いそお)『近世京都出版文化の研究』(昭和五十七年、同朋舎)に載った京都の本屋・永田調兵衛の記録「商用諸雑記」によれば、筆耕料は一丁単位で支払われ、安政七年(一八六〇)の漢詩集は一丁あたり一・二匁だった。


・製作原価の基礎は板木代


・出版費用で大きな比重を占めるのは紙代である。本屋は紙問屋との間に安定した需給関係をもったので、素人が単発的に発注するよりずっと安かったはずである。江戸時代、紙は米、木材と並ぶ取引量をもつ巨大産業だった。


・本屋独特の商習慣もあって、それは「本替」という方法である。とくに関西と江戸の取引では、おたがいに本で清算することが多く、それらを売買を計算して差し引き残額だけが金銭で渡された。


・原価計算の基礎は、固定費と流動費とに分けることである。固定費というのは版下の作製や製版代などで、江戸時代なら板木の製作や、出版にさいしてかかる諸雑費の合計である。発行部数かかわりなくかかる経費のことである。それに対して紙代と刷り代・製本代のように、印刷する部数によって変わってくる費用を流動費という。


・出版権である板株(はんかぶ)(「いたかぶ」とも)は、板木を現に所有している者のところにあった。その板木が売られると、それとともに板株も移動する。そのために板木は本屋仲間は公式に主催する板木市で売買された。そこで入札によって取引され、その結果を記録した「京都江戸買板印形帳」という文書が大坂に残っている。これも『大坂本屋仲間記録』に所収されていて、天保五年(一八三四)から明治三年(一八七〇)の間のものがある。京都や江戸の本屋から大坂の本屋が板木を買ったさいの記録である。


・現代でもAの出版社で出した単行本が、何年後かにB社で文庫になるというとき、何がしかの金銭的な代償があるのかもしれないが、そのような情報は未公開なのでわからない。しかし、江戸時代にはオープンだった。どこからどこへ、いつ、いくらで売ったか記録されている。


・本に命を吹く込むおまじない(中略)

売り出しのときの外袋や見返しに魁星印(かいせいいん)を捺す。これは、中国から伝わった習慣で、はじめ漢籍に捺していたが、江戸時代の中期になるとほとんどの本屋がこれを捺した。国学の本にも捺す。(中略)


わたしは、これが本の神様だと思っている。少なくとも本屋の神様である。

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※同書 139ページより


・本屋は仲間で売る------本を広めた原動力


・本屋を知るための基本文献(中略)


蒔田稲城編『京阪書籍商史』昭和四年、出版タイムス社

宗政五十緒『近世京都出版文化の研究』昭和五十七年、同朋舎

上里春生著『江戸書籍商史』昭和五年初版、同五十一年復刻、名著刊行会

小林善八『日本出版文化史』昭和十三年、同刊行会

弥吉光長『未刊史料による日本出版文化』昭和六十三年、ゆまに書房。全五巻(中略)

今田洋三「江戸の出版資本」(「蝦夷町人の研究」三巻所収)昭和四十九年、吉川弘文館

井上隆明『改訂増補近世書林板元総覧』平成十年、青裳堂書店


『京阪書籍商史』は引用する史料も豊富で、現在にいたるまで右に出る書籍商史の文献はないといってもよいくらいである。


・『大坂本屋仲間記録』は全十八巻と膨大な史料集だが、これを丹念に読んでいくと当時の本屋の仕事ぶりが明らかになっていく。索引がないのが不便で、せめて書名索引ができるとさらに利便性が増す。京都も『京都書林仲間記録』が残っているが、影印復刻なので一般向けでない。


・江戸時代の商業は本屋に限らず、業種別に「仲間」と呼ばれる組織をつくって活動していた。現代でも大は自動車工業会、小は古本屋の入る古書組合まで業種別の集団がある。同業者がこのように組織をつくるのは、昔から変わらない。


・本屋仲間の仕組み

本屋は仲間に加入すると「本屋仲間株」を取得できる。成員はこの株によって保証されていた。株は売買・譲渡することも、そこに書き入れといって抵当権を設定することも、質入れをすることもできた。人数に制限はなく、そういう意味で排他的な中世の座とは異なる。


・「板」という字のつくことばの違いを整理していこう。おおむね板をはんと読むようにルビをつけたが、実際はばんと濁ることが多いらしい。(中略)


重板(じゅうはん) 内容が同じものを無断で刻して出すこと。もっとも厳しく断罪した。(中略)


絶板(ぜっぱん) 出版許可の出ない本や、焚書の板木を焼却処分し破棄させること。


・絶版はさすがに、いまやオンデマンド印刷でも再版、増刷できるので死語になりつつあるが、一昔前までなら品切れ=絶版といったものだ。しかし、それでも江戸時代とは用語は違う。重板は、犯罪行為だったし、絶板とはその処分だったのである。


・本を出してそれで終わりではなく、それをいかに長く売っていくかに腐心してきた。とりわけ、江戸の書物の特性のひとつは、本屋の集団性にあった。大は本屋仲間、小は相板の講である。


●書籍『江戸の本屋と本づくり~続 和本入門』より
橋口 侯之介 著
平凡社 (2011年10月初版)
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