このページは、書籍『江戸時代の図書流通』(長友 千代治 著、仏教大学通信教育部 刊)から、良かったこと、共感したこと、気づいたことなどを取り上げ紹介しています。
・京都は、都市文化の発達とともに、商業出版の先進地であった。出版は、出版者が誰であるかによって、天皇が出版する勅版、偽政者が出版する官版、寺院が出版する寺院版、民間人が出版する私版、営業目的で本屋が出版する書肆版などの区別がある。
・本屋は本を売るばかりではなく、客から買い求めることもあった。本屋店頭図からは売却のことは判別しにくいが、宝永四年(一七〇七)刊『昼夜用心記(ちゅうやようじんき)』巻五の店頭図には、本文に次の記述がある(図7)。
・本屋は大方は知識人・文化人であり、購読する読者も大方は知識人・文化人であるが、店頭に描かれているのは多くは坊様であり、彼らを相手にすることから隆盛を見て、やがて客人は学者や武士、町人らが登場するようになり、本屋営業は大衆化への方向をたどっていることが、画証からも理解される。
・江戸出版の特色をもっとも濃厚に出して活躍した本屋に蔦屋重三郎がおり、鈴木俊幸氏は『蔦屋重三郎』(近世文学研究叢書9、若草書房、平成10)などでその仕事を見事に総括されている。
・名古屋の本屋の初めは、書林風月堂孫助である。
・地方の本屋の特色は、(中略)小間物屋が本の販売を兼業するもの、あるいは小間物・文房具一般とともに本屋を兼業していたように思われる。
・本を取り扱う者は、ほとんどといってよいほどに、売買に加えて貸本営業も行っていて、貸本による書物の普及も一般大衆へ大きな影響力をおよぼしていた。このような本屋が、地域の人々に実用的な知識、文芸的興趣、あるいは読書の楽しみを与え、ひいては最も庶民的な娯楽とさせる俳諧や狂歌の素養を身につけさせ、それなりの文化的連帯を生み出していたことになる。地方本屋の存在は文化の普及発展に大きな役割を果たしていた。
・本屋仲間に加入している株仲間会員の名義をかりて営業している業者を、糶本屋という。糶本屋本人は、本屋仲間には加入しておらず、独立した営業が公認されている者ではない。売子とも言い、それも一軒の本屋に一人とは限らない。
・貸本の入手(中略)
貸本屋が、貸本を本屋の店頭で直接購入していることは、これまでの本屋店頭図に貸本屋が描かれている光景を見れば明らかであろう。(中略)
次には、「貸本類仕入所」などと称するところからの仕入れである(図100)。それも貸本だけではなく、和漢の書物、あるいは古本類の売買も兼業するのが一般的であった。(中略)
三番目には、他の貸本屋からの購入である。貸本屋は自分の貸本が得意客を一巡したとみると他の貸本屋に転売した。そのルートは都市部の貸本屋から地方の貸本屋へ系統立てられ、最終的には地方の温泉地など、読者が入れ替わるところに集積したといわれている。(中略)
四番目は、貸本屋が作者を抱えて、読み物を新作させることである。
・貸本の見料は、地方によっては個々別々に定められていた。ただし、都市部にあっては、特に、幕末頃の大坂では、本屋(書物屋)仲間の間で協定があったよう
・近世の大坂を代表する出版物の一つに実用書がある。その中の一つが重宝記であることは、元禄十五(一七〇二)刊都の錦著『元禄大平記』の記事を証拠に繰り返し説かれてきている。
・『近世出版広告集成』(ゆまに、昭和58)
・出版業が成立するのは江戸時代になってからである。それは読者がいて、書物に、商品として価値が生じたことによる。
・江戸時代の書物出版の広告については、拙著『江戸時代の書物と読書』(東京堂出版、平成13)
●書籍『江戸時代の図書流通』より
長友 千代治 著
仏教大学通信教育部 (2002年10月初版)
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