FaxDMトップ > 会社案内 > 成功者の知恵 > 下重 暁子 氏 書籍『人生という作文』(PHP研究所 刊)より

下重 暁子 氏 書籍『人生という作文』(PHP研究所 刊)より

このウェブサイトにおけるページは、書籍『人生という作文』(下重 暁子 著、PHP研究所 刊)を読んで良かったこと、共感したこと、気づいたこと、こんな視点もあるといった点などを取り上げ紹介しています。


・折角なら、情景が浮かぶ言葉を選ぶ。例えば、梨を送ってもらったら、「梨をありがとう。おいしかった」ではあまりにそっけにない。「ベートーベンの『英雄』をききながら梨をいただいています。みずみずしくて雄大で・・・・・・」など書けば、私の様子をわかってくれるだろう。


・何度も何度も文章を読みなおす。その都度、新しい発見があるし、自分の考えていた事、感じていた事を再認識する。


・書くとは、自分自身を見つける事なのだ。確かめつつ自分が何者かを知っていく。私たちは一番身近な自分自身を知らない。


・ものを書く時は、自分一人と向き合うから孤独である。孤独は淋しいものではなく、自分を知るためのもっとも豊かな時間である。孤独を知らない人にはものは書けない。


・何を書くかが決まっていないのに、どう書くかばかりを考えている人がいる。自分の内側で決っているものがないのに、どう書けるというのか、順序が逆である。書きたいものがあるからこそ、どう書こうかと工夫する


・前置きの長い文章にろくなものはない。最初からズドンと本題に入ってしまう方が気持ちいし、読む気になる。きれい事の並んだ文章はたくさんだ。


・作家は「最初の一行」「最後の一行」という。最初の一行で、おやと思わせ、最後の一行で余韻を残す。


・三・一一以後、誰もかれもが絆という言葉を使う様になって、安っぽいイメージになった。(中略)同様に、次のオリンピックに関する言葉でが「おもてなし」。(中略)使われるすぎると、初期の鮮度を失ってしまう。


・一語一語ほんとうに必要かどうか、文脈に合っているかどうかを確かめてみる。いいかげんな表現しか出来ない人は、いいかげんな人と思われても仕方がない。逆にいいかげんな表現ばかりしていると、いいかげんな人間に作りかえられてしまう。言葉とは恐ろしいものだ。


・ものを書く事は恥をかく事だと、常々私はいっている。あじさいのたとえでも、わたしは自分の心の奥に巣食っている嫉妬に気付いて、とまどった。認めるべきか否か。


・何事も、自分で決めれば後悔する事はない(中略)

他人任せだと、残るのは後悔だけだ。


・題名、装幀、読みやすさ。何拍子かそろってはじめて本は売れる。だからといって売れる本が決していい本とは限らない。売れない本の方が、よほど中身が濃い事が多く、もの書きとしてはその矛盾と向き合わねばならない。


・ものを書く事は「自分を掘って自分を知る事」なのだから、人それぞれにちがう。環境も考え方も姿形も。


・何度も何度も書き直す事で「自分の文体」が生まれる


・自己陶酔は禁物

教室で書かれるエッセイも、自分の内だけに陶酔しているものがある。日記は自分が読むために書くものであり、エッセイは人が読む事を前提にしている。


・自分に対して「なぜ、なぜ」と問いかげながら書いていく(中略)

自分を知りたいと思う事が、ものを書きはじめるきっかけになる。書くとは自分を知る事だ。自分を知るとは、表向きのすました自分の皮をはいでいく事だ。「自分を掘る」と私は呼んでいる。


・自分の中で少しずつ熟成してくるものを育みながら、ぎりぎりの所になって机に向かう、自分を追いつめてあと一時間、あと二時間となってようやく机に向かう。ひどい時には編集者が「これから原稿をいただきに上がります」といわれてから書きはじめる。


・もの書きには一字一句、推敲を重ねていくタイプと、一気に書き切るタイプとに分れる。私は放送が最初だったせいか、一気に書いてしまうタイプだ。


・放送局にいる間も、私はエッセイの依頼など、方々から頼まれる原稿を断った事がない。どれも勉強の場であり、頼まれる事が嬉しくもあった。


・自分を知れば、自分に合う表現方法が見つかる(中略)

自分の思考など自分をよく観察してみるとおのずから見えてくる。自分を知る事、それがなかなかにむずかしい。


・なんでも機械任せでは、感受性が衰えていく(中略)

私たちは機械に命令されて暮らしているのだ。毎日機械に管理されている。そんな中から感受性豊かな言葉など生まれてくるわけはない。もとになる感性が失われているのだから。


・自分史を書きたいという方々に、私はこんなアドバイスをします。「ぜひ、あなたが落ち込んだ時の話を書いてください。ノっている時よりも、落ち込んだ時のほうがおもしろい。なぜなら、人間、落ち込んでいる時は自分と真摯に向き合います。ノっている時はどこか浮かれてしまうでしょう。そんな話を読んでも、人はちっちもおもしろくないんですよ」って。


・きれいごとはだめ。そんな事を書かれても、まるで人には響きません、書くならば、自分の心を裸にして書かないと。誰に何と言われようと書くんだと、強く自分を持つ事です。


・ものを書く上で本当に恥かしいのは、恥かしい事を書く事ではないと思います。つまらない事を書くのが、恥かしいんです。

※山口 恵以子 氏談


・恥をかく気がないのなら、書く事はやめなさい


・人とは違う部分が、ものを書く上で役に立っていまう。人と違う事は、いい事よ。


●書籍『人生という作文』より
下重 暁子 (しもじゅう あきこ) 著
PHP研究所 (2015年11月初版)
※amazonで詳細を見る