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荒川 健作 氏 書籍『≪全訳≫論語大成~最高の徳「中庸」とは何か?』(三恵社 刊)より

このウェブサイトにおけるページは、書籍『≪全訳≫論語大成~最高の徳「中庸」とは何か?』(荒川 健作 著、三恵社 刊)を読んで良かったこと、共感したこと、気づいたこと、こんな視点もあるといった点などを取り上げ紹介しています。


・孔子は、魚を釣るが一網打尽にしなかった。鳥を射ぐるみの矢で狩るが巣に宿る鳥を射なかった。注)根絶やしにしてしまううと、来期の収穫ができなくなる。


・孔子「贅沢すれば不遜になり、倹約すれば頑固になる。不遜よりは、むしろ頑固になれ。」


・孔子「君子は余裕があり悠々としている。小人物は余裕がなくイライラしている。」


・孔子「君子は、言葉が行動より行き過ぎることを恥じる。」


・孔子「過ちをしても改めない。それが過ちと言うものだ。」


・孔子「生まれながらに知る者が最上なのだ。学んで知る者は次。失敗してそこから学ぶ者はそのまた次だ。失敗しても学ばないならば、人民はそれを下愚とするのである。」


・孔子「〔予め犯してはいけない罪を〕教えずに殺すならば、残虐というもの。予め注意せずに成果を視察するならば、乱暴というもの。命令を緩慢にして期限を到来させ〔焦らせて失敗させ〕るならば、害するというもの。どうせ人に与えるのに出し惜しみするならば、役人根性というもの。」


・孔子「言葉を知らなければ、人を知ることはないのだ。」


・「知者でも千慮に必ず一つの過失があり、愚者でも千慮に必ず一つ取り柄がある。」


・考えず行動するなら下愚、考えるだけで実行が伴わないなら頭でっかちに過ぎない。上知の者は頭でっかちに移行しがち、行動派の者は下愚に移行しがち。頭でっかちは下愚と同じようなものでどちらも愚かだが、いくら愚かになっても上知には移行しない。


・中庸は、よく中間と誤解されている。ここで言う中間とは、50対50のこと。信頼性に高いものも低いものも一律に50%するならやはり偏っている。


・いくら大胆がよいとはいえ行き過ぎれば無謀になり、慎重も行き過ぎれば臆病になる。人はとかく無謀や臆病の両極端に偏りがち。


・反省と悲観は違う。過ちを改めず悩むだけなら、害でしかない。必要以上に悲観するなら出来るものさえ出来なくなる。不利な状況をいつまでも悲観してもどうしようもない。


・不足なものを十分と思ったり、マイナスのものをプラスと思うものではない。当然のこと。60のものは、0でもなければ100でもなく、60でしかない。だが、60のものでも使い方次第で50にもなれば70にもなる。将棋の名人は、持ち駒が少なくても手持ちの駒をうまく使って勝つことができる。


・不幸があるから幸福がある(諺:雨降って地固まる)。病気になって初めて健康の有難さが分かる。無いものはないとした上で、無いなりに自分で創意工夫すれば、逆境を乗り越えられることが多い。どんなに悪条件の中でも必ず少しは美い(よい)点があるもの。


・人はとかく、他人と比較して嫉妬したり、他人に見栄を張ろうとしがち。だから、満足を知らない者はいくら物質的に豊かになっても精神的に貧しい。軽い不幸を悩んで重い病気になる者もいれば、法律に違反してでも儲けようとして犯罪者になる者もいる。このように、濫り(みだり)に幸せ貧り(むさぼり)求めれば、添加して却って(かえって)不幸になってしまう。


・孔子「過ちをしても改めない。それが過ちというものだ。」


・孔子は優れていたが、何でも知っていたわけではない。渡し場や戦陣のことは分からない。人はとかく一人に完備を求めがちだが、餅は餅屋に任せればよい。


●書籍『≪全訳≫論語大成~最高の徳「中庸」とは何か?』より
荒川 健作 訳注 著
三恵社 (2007年6月初版)
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