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司馬 遼太郎 氏 電子書籍『竜馬がゆく(八)Kindle版』(出版社: 文藝春秋)より

このウェブサイトにおけるページは、電子書籍『竜馬がゆく(八)Kindle版』(司馬 遼太郎 著、出版社: 文藝春秋)を読んで良かったこと、共感したこと、気づいたこと、こんな視点もあるといった点などを取り上げ紹介しています。


・「財政の独立なくては、思想の独立もなく、行動の自由もない」として、海援隊の場合も、土佐藩の会計から鐚一文の金ももらっていないのである。すべて自営自活でやってきている。


・議論に勝つということは相手から名誉を奪い、恨みを残し、実際面で逆効果になることがしばしばあることを、この現実主義者は知っている。


・ちなみに石鹸の渡来は存外ふるく、豊臣時代にはすでに しゃぼん の名はあった。博多の茶人 神谷宗湛 が石田三成に石鹸を贈った記録がある。


・弁論よりも事実を作りあげ、事実をして言わしめるというのは、竜馬が脱藩以来、終始とりつづけてきたやり方である。


・この坂本家の本家で屋敷も塀つづきになっている才谷屋が城下の三大富商の一つであるということも、坂本家の性格の根になっているのであろう。さらに竜馬自身が、武士のくせにみずみずしい経済感覚のもちぬしであるというふしぎさも、この家にきて戸田雅楽は解けたような気がした。


・後藤にすれば暗殺者などは瘋癲白痴(ふうてんはくち)としか思えないのである。近藤勇といえども後藤からみれば瘋癲白痴の親玉のようなものであった。


・ただ致命的に無智な点は、「お上は偉い」という百姓の信仰のようなものが、頑として根を張って動かないことであった。


・竜馬がもし将軍慶喜に単独で会える身分ならば、この案の理と利を説き、「家康が乱世をおさめて三百年の泰平の基礎を築いたのも、歴史への功績である。いまその世襲政権をみずからの手で終熄させ即座にあたらしい歴史を打開するとすれば、家康以上の大功であり、徳川家は二度にわたって歴史に貢献することになる。思うても見られよ、古今東西、兵戦を用いず乱をおこさず、ただ国と民のためのみを思ってその政権を他に譲った例があったか。本朝にもなく、唐土にもなく、西洋にもない。そのかつて無かった例を日本においてひらく名誉を徳川家は持たれよ」と竜馬は、説きたかった。


・竜馬にすれば薩長を待たせに待たせた罪をその死でつぐない、同時に討幕の先陣として死ぬつもりであった。この文章、三百八十五字、行間に殺気が満ち、鬼気あふれ、藤吉の使いでこの手紙をうけとった後藤は一読しておもわず慄えた


・彼等が想像していたこととはまったく別なことを言った。竜馬がこのとき吐いた言葉とその光景は、そのまわりにいた中島作太郎、陸奥陽之助らの生涯忘れえぬ記憶になった。


・大樹公(将軍)、今日の心中さこそと察し奉る。よくも断じ給へるものかな、よくも断じ給へるものかな。予、誓ってこの公のために一命を捨てん。


・竜馬は 薩長連合を遂げ、大政奉還を演じ、いま新官制案をつくった。当然、革命政府の主流の座にすわるべき存在である。であるのに竜馬はこれをかぎりに身をひく、という。すべてを岩倉・西郷・大久保の流れに譲りつくしてしまうというのである。 「すべてを」 「ああ、それが物事を成就させる道だ。


・「おれは日本を生まれかわらせたかっただけで、生まれかわった日本で栄達するつもりはない」


・さらに、「こういう心境でなければ大事業というものはできない。おれが平素そういう心境でいたからこそ、一介の処士にすぎぬおれの意見を世の人々も傾聴してきてくれた。大事をなしとげえたのも、そのおかげである」


・「仕事というものは、全部をやってはいけない。八分まででいい。八分までが困難の道である。あとの二分はたれでも出来る。その二分は人にやらせて完成の功を譲ってしまう。それでなければ大事業というものはできない」


・西郷の特技は聞き上手なことであった。対座し、一見無のごとき表情をして相手の説をきく。相手はついひきこまれるように弁じつくしてしまう。


・古来、革命の功労者で新国家の元勲にならなかった者はいないであろう。それが常例であるのに竜馬はみずから避けた。


・竜馬はさらに慶喜論を説いた。徳川慶喜こそ回天の最大の功労者のひとりであるというのである。


・徳川家と慶喜個人とを分けて考える必要があるという論をもってついに岩倉を服せしめた。


・三岡八郎を新政府にほしい旨をいうと、春嶽はまゆをしかめた。「あれは藩の罪人ぞ」


・「しかし三岡八郎は新政府の罪人ではございますまい」と竜馬はいった。


・事をなす人間の条件というものを考えたかった。それを坂本竜馬という、田舎うまれの、地位も学問もなく、ただ一片の志のみをもっていた若者にもとめた。主題は、いま尽きた。その死をくわしく語ることは、もはや主題のそとである。


・「ほたえなっ」とどなった。土佐言葉で、騒ぐな、という意味である。


・長崎は三方を山でかこまれた港町だから、平地というのはわずかしかない。平地のほとんどは商業地になっているため、住宅街は山頂にむかってひろがっている。


・私心を去って自分をむなしくしておかなければ人は集まらない。人が集まることによって智恵と力が持ち寄られてくる。仕事をする人間というものの条件のひとつなのであろう。


・竜馬は株式会社の最初の発想者といえるであろうし、また近代商社の祖ともいえるが、同時に日本海軍の祖ともされてきた。


・竜馬の名は、日々わすれられた。かれの名がにわかに世上で有名になったのは、死後三十余年経った日露開戦のころである。


●電子書籍『竜馬がゆく(八)Kindle版』より
司馬 遼太郎 (著
出版社: 文藝春秋 (1998/10/10)
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