このウェブサイトにおけるページは、電子書籍『竜馬がゆく(七) Kindle版』(司馬 遼太郎、出版社: 文藝春秋)を読んで良かったこと、共感したこと、気づいたこと、こんな視点もあるといった点などを取り上げ紹介しています。
・「薩長土の過激の士とまじわって幕府を内部から崩さんとする 奸物」と見ていた。勝が、竜馬を塾頭として神戸海軍塾をやっているのを小栗はそういう見方で疑い、ついに彼を蹴落して江戸の自邸で蟄居閉門という目にあわせた黒幕は小栗忠順なのである。
・竜馬は議論というものの効力をあまり信じていない。議論などで人を屈服させたところで、しょせんはその場かぎりということが多い。
・「時勢は利によって動くものだ。議論によってはうごかぬ」(中略)この場合、利というのは経済という意味である。経済が時代の底をゆり動かし、政治がそれについてゆく。竜馬は、奇妙なカンでそう歴史の原理を身につけていた。
・「長州人にいわせると、高杉の秘術のタネは一つだそうですよ。それは、困った、ということを金輪際いわない、ということだそうです。かれの自戒だそうです」
・「こまった」とはいわない。困った、といったとたん、人間は智恵も分別も出ないようになってしまう。「そうなれば窮地が死地になる。活路が見出されなくなる」 というのが、高杉の考えだった。「人間、窮地におちいるのはよい。意外な方角に活路が見出せるからだ。しかし死地におちいればそれでおしまいだ。だからおれは困ったの一言は吐かない」と、高杉は、陸奥にもそう語っていたという。
・「開成館の話はきいたか」 「ふむ」 聞いているとも聞いていないとも取れる返事である。
・その岩崎が後藤からやみくもに貰った財物のなかに、竜馬の社中の財産が多分にふくまれている。岩崎はこれをもって、無一文から身をおこし、竜馬の事業を継承し、のちの三菱会社に発展する礎をきずきあげた。
・もっとも、後藤のやりかたの面白さは、「呉れてやる代りに、土佐藩の負債もお前が背負いこめ」 と、一挙に藩の負債問題を解決したことである。岩崎は事業の利潤で旧藩の負債をたちまち返済した。
・後藤は将才はあっても、緻密な論文を書けるような頭はない。一策を思いつき、鴨田村 で寺子屋をひらいている安芸郡井ノ口村の地下浪人に答案の作成をたのんだ。(中略)要するに弥太郎は、これが契機で東洋と後藤にむすびついた。
・竜馬の論でいえば時運をいちはやく洞察してそれを動かす者こそ英雄だという。
・水戸藩は、尊王攘夷の先駆藩でありながら勤王・佐幕がたがいに殺しあい、その両党のなかにも小派が分立して 相 殺戮 しあってついに人物の たね が切れ、いまでははるかに時勢の後方に 霞んでしまっている。
・「海援隊」と、墨くろぐろと書いた。「意味は海から土佐藩を援ける、ということだ。海とは、海軍、貿易。海援隊は土佐藩を援けるが、土佐藩も海援隊を援助する」 「つまり、同格か」
・要するに人たる者は平等だといっている。人はみな平等の権利をもつ世におれはしたい」
・「俸禄は鳥の餌とおなじだ。先祖代々餌で飼われてきた籠の鳥になにができるか」といったこともある。いずれも上士のことだ。竜馬は、威張りかえっているくせに無能で気概もない上士という藩貴族を、一種の廃人同然にみていたふしがある。「事を成すのは野育ちの鳥でなければならない」といったこともあった。
・「長岡君、海援隊で書物を出してみようか」といった。いま思いついた案ではなく、かねて竜馬は啓蒙的な出版事業をやりたいと思っていた。
・余談だが、この出版事業はその後ほどなく実現している。竜馬は「藩論」という新国家構想についての評論を口述して長岡が文章にし、長岡自身も「閑愁録」という宗教問題をあつかった評論をかき、いずれも著者名を入れず「海援隊蔵板」という名目で出版した。
・人の諸々の愚の第一は、他人に完全を求めるというところだ。
・物事に惚れるような体質でなければ世上万般のことは成りがたいと竜馬はいうのである。
・「坂本竜馬と明治維新」(訳者・平尾道雄、浜田亀吉の両氏)
・ちなみに土佐藩の蒸気船はすべて源氏物語にちなむ和名がついている。
●電子書籍『竜馬がゆく(七) Kindle版』より
司馬 遼太郎 (著
出版社: 文藝春秋 (1998/10/10)
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