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小島 慶子 氏 書籍『おっさん社会が生きづらい』(PHP研究所 刊)より

このウェブサイトにおけるページは、書籍『おっさん社会が生きづらい』(小島 慶子 著、PHP研究所 刊)を読んで良かったこと、共感したこと、気づいたこと、こんな視点もあるといった点などを取り上げ紹介しています。


・「おっさん的な感性」ーーー独善的で想像力に欠け、ハラスメントや差別に無自覚である性質ーーーが自分の中に深く刻まれていることに気づく。


・“おっさん“とは、独善的で想像力に欠け、コミュニケーションが一方的で、ハラスメントや差別に加担していることに無自覚な人物を指すネガティブな呼称だ。


・第一章

“おっさん的“コミュニケーションの手放しかた

清田 隆之(きよた たかゆき)


・たとえば、清田さんの著書『よかれと思ってやってやったのにーーー男たちの「失敗学」入門』(晶文社)の目次には、こんな言葉が並ぶ。(中略)

◯話し合いができない男たち

●意見を伝えても、夫は黙ったり謝ったりするばかりで、自分の考えを述べてこない

●意見交換したいだけなのに、言い訳したり、茶化したり、論破までしてくる上司(中略)

◯男同士になるとキャラが変わる男たち

●一対一では優しい彼氏なのに、男友達がいる場だとなぜかオラつき始める

●職場の男達は集団だと女性蔑視的な発言が増える。一人のときはいい人なのに


・「俺(私)はおっさんじゃない!」と思うマインド自体が、“おっさん“なんじゃないかなと思ったんです。

もう少し噛み砕くと、目の前の相手や事実から目を背けたり、聞く耳を持たなかったりして、自分勝手なロジックで世界を作り上げる人というか……。

清田 隆之(きよた たかゆき)談


・“おっさん“とはやはり、状態なのですね。おっさん族という特定の種族がいるわけではなく、ある心性のことを指すので、いつ誰がおっさん化するかはわからない。

必要なのは、その要素を己の中に見つけて取り除く作業をこまめにするということなのでしょうね。


・自分自身から目を背けている人=おっさん(中略)

たとえば、鼻毛が出ていることを指摘されると「あえて出している」などと屁理屈を言ってみたり、ゴミのポイ捨てを注意されたときも、「道にゴミがあるから清掃員という仕事が発生しているんだ」などと言って自分の非を認めない

清田 隆之(きよた たかゆき)談


・自分を正当化するその場しのぎのロジックを繰り出す。“男子性みたいなものにも、自分自身にも思い当たる節があっただけに嫌悪感が募っていった。

清田 隆之(きよた たかゆき)談


・ある種の男性たちには、「女の愚痴や悩みを聞くなんて面倒くさい行為、見返りがないとやらないだろう」という思考回路が根深く存在している。男がそんなことを無償でやるはずがない、絶対にモテやセックスがモチベーションになっているはずだ、という発想なんだと思います。

清田 隆之(きよた たかゆき)談


・階段を上ると息が切れるようになったとかって話になると、男性の多くは「最近マジで運動不足だわ」って言うんです。(中略)

意地悪な見方をすれば、その言葉って多分「運動すれば体型や体力は元に戻る」ってことを暗に主張しているんだと思うんですよね。つまり、加齢で体力が落ちたのではなく、近頃なまけているから、こうなっただけで、本来のポテンシャルがこんなもんじゃないぞ、と……。(中略)

目の前の事実から目を背ける"おっさん性"そのもののような気がするんです。

清田 隆之(きよた たかゆき)談


・よくコンビニやスーパーで店員さんに当たり散らしているシニア世代の男性を見かけるんですが、あれってもしかしたら、「生活」をするための空間におけるルールやマナーに馴染めず、戸惑い混乱していることの表れかもしれないなって思うんです。

清田 隆之(きよた たかゆき)談


・おっさん社会のアップデートのために(中略)

そこで重要になってくるのが「人の話をちゃんと聞く」ということです。おっさんなるものをアンインストールするためには絶対に不可欠だとすら思います。


・清田さんとの対談を終えて感じたことはbeingで考えること、つまり、「私はどのようにありたいのか」の視点で行けることの大切さだ。


・第2章

なぜ日本では「女も男も生きづらい」のか?

多賀 太(たが ふとし)


・男性にとって仕事を通した男らしさの発揮には、組織の中で活躍して昇進していくというパターンと、大きな組織の歯車や部品になることを良しとせず、一人で何かを追求するというパターンがあるとされています。

多賀 太(たが ふとし)談


・大阪人は「おっさん」と「おっちゃん」を使い分ける(中略)

私の観察によると、“おっちゃん“は肯定的な意味で、親しみを込めて使われます。中高年男性が自分のことを指す場合も、「よっしゃ、おっちゃんに任しとき!」という感じで、困っている人を助ける善人のような使い方をするんです。

一方、“おっさん“という言葉はやはり否定的なニュアンスを込めて使われていますよね。たとえば、男性に「おい、そこのおっさん」と声をかければ、やはり相手を貶めているというか、少なくとも相手への敬意はまったく感じられません。

多賀 太(たが ふとし)談


・帰納法的に導き出された「おっさん」とは、具体的にどういう人だと思われますか。

私のイメージでは、「年長で、男であるというだけで、偉いと勘違いしている」とか、「何かをやってもらって当たり前のように思っている」とか、そういうイメージがあります。

多賀 太(たが ふとし)談


・「おっさんをアップデートする」3つの視点(中略)

ぴったりの3つのキーワードがあるんです「シェア、ケア、フェア」です。(中略)

1つ目のシェア(share)は、様々な労働を男女で分かち合うことを指します。ここでいう労働は、お金を稼ぐ有償労働と、家事や育児や地域活動など、生活に必要だけれども働いてもお金を稼ぐことができない無償労働の両方を指します。(中略)

2つ目のケア(care)には二重の意味が込められています。ひとつは、他人、特に女性をケアすること。(中略)

もう一つは、自分自身をケアすることです。男性は「タフであれ」「弱みを見せるな」といった伝統的な男性像にとらわれて自分自身のケアを怠りがちで、それが健康や生活の質の低下につながっているとの指摘もあります。

3つ目のフェア(fair)というのはいわゆる「対等な関係」と言うものです。(中略)

親子や上司・部下、教師・生徒といった関係においては、ある程度の上下関係が必要です。(中略)

あくまで業務の範囲内の話であり、その範囲を超えて絶対的な権力を持っているわけでも、人間として偉いという話でもない。でも、そこを勘違いしている男性は案外多いですよね。つまり、ポジションに付随する権力関係はあるとしても、それを外したらみんな対等な人間同士だということを理解することが重要なのでしょう。

多賀 太(たが ふとし)談


・男性は特に、勝ち負けをつけたがることが多いですよね。でも、勝ったところで物事がうまく進まなければ意味がありません。


・苦悩や不安を言語化して、分かち合うことを習慣づけられてこなかった男性たちは、それを暴力に変えやすい。暴力の矛先は女性など自分より弱い他人に向かう。それが自分自身に向かうこともある。弱くあってはならない、勝ち続けなくてはならない、という男性の呪縛は誰も幸せにしないのだ。暴力と女性差別を根絶するには、その源を知り、断つ必要がある。


・第3章

「愚痴ること」が開く地平線

熊谷 普一郎(くまがや しんいちろう)


・愚痴ってネガティブなイメージに聞こえがちですけど、人間にとっては実はすごく洗練されたソリューションだということに気づかされます。相談と違って、愚痴は解決と目的としません。それは、知り合うことを目的としています。

熊谷 普一郎(くまがや しんいちろう)談


・多くの男性たちは「男なら黙って耐えろ」と愚痴を許されてこなかったので、本当に弱音を吐くのが苦手です。でもそうすると、自分の欲望を全部抑え込んでストイックに頑張るか、暴力をふるってでもやり切ろうとするか、その両極しかなくなってしまうと思うんです。

熊谷 普一郎(くまがや しんいちろう)談


・セクハラの加害者(中略)

加害者が加害者であることを認めるには、まず自分が被害者性を持っていることを認めることが第一歩なのだそうです。それと向き合ってからでないと、自身の加害行為を認めることができない。


・自らの行動は、自分の意思で行ったことではなく、おのずと行ってしまったことであると認める

熊谷 普一郎(くまがや しんいちろう)談


・第4章

“おっさん的“な分人を捨てるために必要なこと

平野 啓一郎(ひらの けいいちろう)


・『「カッコいい」とは何か』拝読しました。(中略)

特に共感したのが、本書の最後のほうに書かれている「カッコよければ何でもいい、という考えは危険」「カッコよさを押し付けてくることはむしろカッコ悪い」という箇所でした。カッコよさは押し付けではなく、人と人とをつなぐものでなくてはならない、というところは、胸に刻むようにして読みました。


・「飲みニケーション」で、上司が部下に「一杯付き合えよ」「ニ軒目行くぞ!」なんていうのも、今ではパワハラですよね。


・出版業界にいるので、身に沁みて感じていますが、ここ数年も本が売れなくなっている理由に関して、「個人のお金がないから」という議論にまったくならなかったんですよ。

みんな、若い人の読解力が落ちて小説が読めなくなったからとか、ネットに時間を取られて読書時間が減っているとか言うんですけど、その前に、一人ひとりに、読書するだけの時間とお金、それに気持ちの余裕と体力がなくなっているんだと思います。

平野 啓一郎(ひらの けいいちろう) 談


・誰の中にもある「おっさん性」って、平野さんがおっしゃるような中長期的な視点の欠落や、視野狭窄のことだとも思うんですよね。目の前のことさえやり過ごせればいいとか、都合の悪い情報はなかったことにするとか。思考することを放棄している。


・コンビニも、「いらっしゃいませ」じゃなくて、「こんにちは」でいいんじゃないですか?

平野 啓一郎(ひらの けいいちろう) 談


・消費する/されるという関係から脱することで、利用する側も働く側もストレスが軽減されますよね。夜間を通じて人と対面せず、いつもどんなシチュエーションでも相手を一人の人間として見られれば、卑屈になったり横柄になったりすることもないのではないでしょうか。

平野 啓一郎(ひらの けいいちろう) 談


・店員と顧客という役割の違いを主従関係のように考えず、互いに人として親切であることを目指せば、もっとリラックスできる


・そんな中で「知的になることで傷つかない」というのは発見でした。本などをたくさん読んで、知的な人間になっていくと、なぜ相手はこういうことを言うのかとか、自分がどういう環境で生まれてどういう人たちに囲まれて、どういうふうに人から思われているのか、ということが、段々と構造的に見えてきて、理由がわかってくる。

そうすると、何か言われたときも、ムカつきこそすれ、傷つくことは減っていく。

平野 啓一郎(ひらの けいいちろう) 談


・「おっさん性」が支配する社会を変えるには、あるいは個人がおっさんの鎧を脱ぐには、自他を分析し、物事の構造を捉えることが必要です。


・「俺たちの世代はな」と自分の正しさを押し付けるだけでは、他者に対しても閉じているし、自分の欠けているものにも無自覚だから、謙虚さもない。そうすると人としての魅力は失われていきますよね。

平野 啓一郎(ひらの けいいちろう) 談


・どうやって歳をとっていくかということに関しては、若い世代に対するリスペクトと、自分としての意見の表明とのバランスが重要だと感じます。

平野 啓一郎(ひらの けいいちろう) 談


・「カッコよさ」とはうわべを飾ることではなく、世俗的なカッコ悪さを恐れない態度のことであろう。それは弱さを語ることや、無様な失敗を晒すことや、不完全で狭量な自分との子どもじみた葛藤をあきらめないことかもしれない。


・第5章

日本の男性はどこへ行くのか?

上野 千鶴子(うえの ちづこ)


・「愛」ってなんでしょうか。

相手の欠陥や弱さも赦せる(ゆるせる)かどうかじゃないの。

上野 千鶴子(うえの ちづこ) 談


・つらさを人に言えないのはしんどいよなと思いました。兵隊は黙って働くけれど、ずっと「男らしさ」の無茶振りをされてきた男性たちは、しんどさを言語化できないとそれを暴力に変換しかねない。それを自分に向ければ鬱や自死につながり、他者に向ければDVや女性差別やハラスメントとなる。


・東大男子たちの多くは中高一環の私立男子校出身です。小さなサークルの中で「いいね」をし合うホモソーシャルな集団で育ってきた彼らは、同調するヤツだけを仲間として認める。この組織文化が子どもの頃から定年まで続いているんでしょう。


・女性学を生んだのはフェミニズムという女性運動ですが、フェミニズムはけっして女も男のようにふるまいたいとか、弱者が強者になりたいという思想ではありません。フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です。(中略)

「弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想」とは、決して弱者を放置することではない。(中略)

平凡で非力な人々が、他人を排除したり自身を貶めたりせずとも人間らしく生きていける社会を私は切実に求める。


●書籍『おっさん社会が生きづらい』より
小島 慶子 (こじま けいこ)(著)
出版社 ‏ : ‎ PHP研究所
発売日 ‏ : ‎ 2022/8/11
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