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江東区に里帰りした旧渋沢家住宅  月刊『江戸楽』編集部(発行者 江東区)より作成

江東区に里帰りした旧渋沢家住宅


月刊『江戸楽』編集部(発行者 江東区)より作成


このウェブサイトにおけるページは、月刊『江戸楽』編集部(発行者 江東区)を読んで良かったこと、共感したこと、気づいたこと、こんな視点もあるといった点などを取り上げ紹介しています。


渋沢栄一ゆかりの地


・深川福住町(現・江東区永代ニ丁目の邸宅でした。当時の深川は物流の集積地点として栄え、兜町にも近い便利な場所だったのです。

渋沢史料館 顧問 井上潤さん 談
大河ドラマ『晴天を衝け』では、時代考証を担当


・ 栄一はそれまで東京ではニ、三年ほどで引っ越しを繰り返していましたが、深川には十二年暮らしました。

その後、再び兜町に戻り、洋館の邸宅を建てます。

深川の邸宅は嫡男の篤ニに譲りますが、表札は「渋沢栄一」と掲げたままで、本籍も終生、深川から動かしませんでした。

深川には特別な思いがあったのかもしれません。

深川の邸宅はその後、三田(東京都港区)、青森県へと移築され、今年、江東区潮見に再築される予定です。

渋沢史料館 顧問 井上潤さん 談
大河ドラマ『晴天を衝け』では、時代考証を担当


・深川の区議会委員を推挙されて務めただけでなく、初代議長や学務委員、教育会会長も務めています。

渋沢史料館 顧問 井上潤さん 談
大河ドラマ『晴天を衝け』では、時代考証を担当


・私が時代考証を担わせていただいた大河ドラマで栄一母親が「みんながうれしいのが一番」と栄一に教えているシーンがありますが、あのセリフは栄一の人格形成に欠かせない要素だと思っています。

渋沢史料館 顧問 井上潤さん 談
大河ドラマ『晴天を衝け』では、時代考証を担当


・江東区では二〇二一年より、渋沢栄一と江東区のゆかりを調査研究するプロジェクトチームを発足させている。メンバーの一人、深川東京モダン館 管理事務所の副所長・瀧澤潤さん


・渋沢栄一宅跡

明治9年(1876)から12年間、栄一が本邸を構えた地。長女歌子や長男篤ニ、孫の敬三にとってもゆかりが深い。こちらにあった邸宅の一部が、今年、江東区潮見を再築される。澁澤倉庫株式会社の創業地でもある

江東区永代2-37


・精製糖工業発祥の地

明治22年(1889)、実業家の鈴木藤三郎が砂村(現在の江東区北砂・東砂・南砂)の地に「鈴木製糖所」を設立した。この地を選んだ理由は、小名木川の水運が便利で、また砂糖の国産化を推奨していた徳川吉宗が、この地でサトウキビの苗を栽培させたこともあり、砂糖とゆかりの深い地であったためだった。


・洲崎養魚場

栄一は現在の江東区東陽にある養魚場の土地と事業を、前事業者から引き受けて運営し、鰻、ボラ、鯉などを養殖していた。明治33年(1900年)にはかつての主君である最後の将軍・徳川慶喜やパリ万博に随行した徳川昭武らが洲崎養魚場へ出向き、栄一が接待役となって釣りを楽しんでいる。


発行者 江東区
編集 月刊『江戸楽』編集部
発行年月 2023年9月より作成